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ドナルド・キーン (Donald Keene) | |
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現地語名 | キーン ドナルド |
ペンネーム | ドナルド・キーン |
誕生 | Donald Lawrence Keene(ドナルド・ローレンス・キーン) 1922年6月18日 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市 |
死没 | 2019年2月24日(96歳没) 日本 東京都 |
職業 | 文学者・文芸評論家 |
言語 | 英語 日本語 |
国籍 | アメリカ合衆国→ 日本 |
教育 | 博士 |
最終学歴 | コロンビア大学大学院東洋研究科博士課程修了 |
ジャンル | 文学研究・文芸評論・随筆 |
主題 | 日本文学・日本文化 |
代表作 | 『日本文学史』(1976年-) 『明治天皇』(2001年) |
主な受賞歴 | 菊池寛賞(1962年) 山片蟠桃賞(1983年) 読売文学賞(1985年) 日本文学大賞(1985年) 福岡アジア文化賞芸術・文化賞(1991年) 勲二等旭日重光章(1993年) 朝日賞(1998年) 毎日出版文化賞(2002年) 文化勲章(2008年) 従三位(2019年) |
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ドナルド・キーン(英語: Donald Keene、1922年6月18日 - 2019年2月24日[1])は、アメリカ合衆国出身の日本文学・日本学者、文芸評論家。コロンビア大学名誉教授。位階は従三位。
2019年(平成31年)2月24日6時21分(JST)、心不全のため東京都の病院で死去。96歳没。
自宅近くの寺(無量寺 (東京都北区))にある墓標にも幼少期に飼っていた愛犬の黄色いイラストともに「黄犬」の文字が刻まれている[37][71]。
他家附近的一座寺廟(無量寺(東京都北區))的墓碑上也刻有「黃狗」字樣,以及他童年時期的寵物狗的黃色插圖。[37][71]
顕彰碑[編集]
2022年(令和4年)7月、埼玉県の草加市文化会館内の「漸草庵 百代の過客」庭園内に顕彰碑が建立された[129]。
人物[編集]
養子[編集]
浄瑠璃三味線の奏者である上原誠己を養子にしている[86][87]。誠己のことは、文楽座での芸名「鶴澤浅造」にちなんで、「Asazo」と呼んでいた[68][88]。
本名[編集]
日本国籍を取得した際、戸籍上の本名は片仮名表記の「キーン ドナルド」[89]として登録した。また、日本国籍取得時の記者会見の席上、「人を笑わせる時に使います」と述べつつ、漢字で「鬼怒鳴門」と表記した名刺を披露した[5][58]。
日本感[編集]
日本人の特徴として、以下の5点を挙げている[14]。
「私はだいたいにおいて日本は良い方に来たと思います」としながらも「自分たちの伝統に興味がないということは一つの弱点だと思います」としている[14]。
趣味[編集]
クラシック音楽[注釈 30]、特にオペラの熱心な愛好家であり、関連する著書にエッセイ集『音盤風刺花伝』『音楽の出会いとよろこび』(音楽之友社刊)がある。ただし、オペレッタは好まなかった[91]。 伊勢神宮に対する崇敬が厚く、神宮式年遷宮の遷御に際して4度特別奉拝に立会っている[92] 他、第62回式年遷宮に際して特別神領民としてお白石持神事にも参加している[93]。 京都留学時代には、日本の文化をより理解するために茂山千之丞に師事して狂言を学び、1956年に喜多能楽堂で『千鳥』の太郎冠者を演じた[注釈 31][94]。「碧い目の太郎冠者」[注釈 32]と報じられ[95]、キーンのこのような文化活動は日本の作家たちとのつながりを作るきっかけとなった[14]。
生活[編集]
日本滞在中は、自宅がある東京都北区の「霜降銀座商店街」で買い出しを行い、地元の人々に親しまれていた[96][97]。甘党でアイスクリームが好物であったが、和菓子は苦手であった[97]。
親交のあった永井道雄、川端康成といった大学教授や文豪たちの影響もあり長野県軽井沢町に別荘を所有し、夏になると必ず滞在した[98][99]。豪華な洋風建築ではなく、日本家屋風のシンプルな山小屋であった[100]。
政治思想[編集]
平和主義者を自認し[注釈 33]、アメリカの選挙ではいつも民主党に投票していて[102]、2016年アメリカ合衆国大統領選挙でドナルド・トランプが大統領に選出されたときには立ち上がれないほどのショックを受けていた[103]。2013年に書き送ったメールでは安倍晋三首相の靖国参拝に触れて、「以前、私は日本が左翼に乗っ取られるのではないかと心配していたが、今は右翼が乗っ取らないか心配だ」と述べている[56]。
皇室について[編集]
- 日本の皇室制度については高く評価し[注釈 34]、特に自らも面識がある明仁天皇・美智子皇后(当時)について「私は、両陛下は天皇と皇后である前に、最高の夫婦だと思います。いろんなしぐさにお互いへの愛情を感じます」と述べている[104]。
- 大部の評伝『明治天皇』も書いているが、「明治天皇は乃木希典が嫌いだったと思う。乃木を学習院長に任命したが、これは名誉ある仕事なのか。乃木は教育者として強い信念があったわけでもない」と持論を述べ、キーンと交流があった司馬遼太郎らの「乃木愚将論」に同調している[105]。
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