2024年5月8日 星期三

岩波文庫 Frederick Amiel (1821-1881) アミエルの日記4冊 1 翻讀李嘉嵩回憶錄 《一百年來》李弘祺祖父李崑玉先生(1880~1948)和父親李嘉嵩牧師(1914~1978)兩代傳道人的感人故事父親 ) ,






143 岩波茂雄及岩波書店 鍾漢清 邱振瑞 2017-03-05
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143 岩波茂雄及岩波書店 鍾漢清 邱振瑞 2017-03-05

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岩波書店:

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岩波平裝初版90年 - 岩波文庫,它將繼續在未來的演變

 方正岩波茂雄是,拿範圍雷克拉姆平裝的德國,哲學下的“,而精心挑選的典籍所有年齡和國家提供的人們的心靈寄託”,並於1927年90推出的岩波今年將進行設置。它繼承了宣布繼續擔任岩波書店,讀賣新聞的“永恆事業”訴求的鎮雄,甚至沒有在困難時期,如戰爭和抑鬱中斷,繼續發布此專著。幸運的是,支持眾多讀者,岩波文庫,它終於成為經典不等,共約6000點的寶庫。

 日本文學,外國文學,日本的思想,東方思想,歷史,地理,音樂,美術,哲學,教育,宗教,自然科學,法律,政治,經濟,涵蓋各個領域,如社會,幾十年的書,這是一個已經長人閱讀繼承與幾百年前一個偉大的書。

 “經典”是不老的,因此經典。時代深深追求的挑戰,得到了眾多讀者的支持,正是因為他們能開出下一個時代的力量,成為經典。換句話說,現在也經典is're新生。岩波文庫,持續發展的未來。

 讀賣新聞,定期檢查已流傳讀取到現在為止,堆疊或改為新的翻譯的偉大的書的傑作,通過,例如,更新註釋,以不懈的努力,以反映最新的科學文化成果我們有。同時,在未來,這則確定必須佔據作為經典的位置,廣泛,願記錄遠大。

 接手的歷史,繼續發展岩波,敬請留意吧。
 2017年






Paperback Bunko
S$15.49




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岩波文庫 Frederick Amiel (1821-1881) アミエルの日記4冊  


アミエルの日記 1 (岩波文庫 赤 760-1) Paperback Bunko – 17 April 1972
Japanese edition by フレデリック・アミエル (Author)
2.8 2.8 out of 5 stars 4 ratings




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Swiss philosopher Frederick Amiel (1821-1881) with aesthetics and philosophy at the University of Geneva (1821-1881) is familiar with this journal, rather than accomplished achievements. The intentional life record spelled over about 30 years since 1847, is unaffected by the cold self, thoughts and art. Harmonies of Nature and Life The versatile Luportage makes a great impression



岩波茂雄伝

1957/2017



信州への郷土愛を持ちつつ、東京で出版人として生きた岩波茂雄。溢れる活力と情熱で時代と向き合い、生涯青年のように道を求め続け、出版事業に邁進した。「一番無遠慮な友人」安倍能成が、温かい理解と忌憚ない批判の眼差しで描いた本書は、出版事業についてはもちろん、これまで知られることの少なかった私生活についても余すところなく言及し、出版事業者の気概に触れることができる。一九五七年に刊行された決定版伝記を、岩波書店創業一〇〇年を機に新字・新かなで送る。



《岩波茂雄傳1881-1946》
一九一三年,一家不起眼的舊書店在東京的書店街──神保町開業,當時誰都沒有想到,一百年後的今天,她會成為日本最具影響力的出版社之一,肩負起從哲學、科學、文學多角度為日本人傳播文化和知識的重任。那小小的舊書店,就是今天的「岩波書店」。

岩波茂雄從故鄉長野來到東京求學,後來創立岩波書店,度過了波瀾壯闊的一生。他以出版名作家夏目漱石的著作為起步點嶄露頭角,又創立「文庫」和「新書」形式的叢書,為業界爭相仿效,至今仍是日本最為廣泛使用的書籍模式之一。他畢生追求真理和正義,即使在軍國主義盛行的戰爭年代,仍然不諱軍部的強權和壓迫,堅持立場,強烈反對日本侵略中國,為幫助中國朋友盡心盡力,更希望藉着向中國的大學贈書,連繫兩國友好和文化交流。

本書作者安倍能成是岩波「最無顧忌的友人」,以溫厚的理解與毫無顧忌的批判眼光撰寫此書,不僅講述了岩波茂雄的出版事業,還毫不保留地談及他以往鮮為人知的私生活,使我們得以領略一代出版家的氣概與赤誠。


作者簡介  · · · · · ·

1883-1966年6月7日)日本教育家、哲學家。愛媛縣人。在東京帝國大學讀書期間便發表文藝評論。1920年成為成為大學教授,1926年成為京都帝國大學教授,1940年出任第一高級中學校長。1945年12月奉詔成為貴族院議員,隨即出任幣原內閣文部大臣,進行教育改革。1946年8月當選貴族院帝國憲法修改案特別委員會委員長。同年10月擔任學習院大學院長,直到去世。

目錄  · · · · · ·


第一篇書店開業前(1881—1913)
明治十四年(一八八一)——大正二年(一九一三)
第一章在故鄉的生活
一岩波的實家
二幼年
三父親之死與諏訪實科中學時代
第二章東都遊學
一日本中學的一年
二在一高的生活
一年級——舢板狂人時代
二年級——煩悶時代的開始
獨居野尾湖
兩度落第與一高生活的結束
三專科入學、結婚及母親的死
專科入學與結婚
母親的死
第三章女校的教師時代
第二篇岩波書店(1913—1946)
大正二年(一九一三)——昭和二十一年(一九四六)
第四章舊書店開業
——出版按標價銷售
第五章出版事業
一創業期待
——處女出版《心》、《哲理叢書》及《漱石全集》
二關東大地震前後
三岩波文庫與罷工
——昭和初期
四昭和四年到日中戰爭
五從日中戰爭到太平洋戰爭
六太平洋戰爭期間及投降後
七書店後記
社會生活
第六章對故鄉的奉獻
一鄉土之愛
二與鄉村的合作
三桑原山事件
四對縣級教育的協助
第七章政治活動
一對議會及選舉的關心
二貴族院議員
三岩波與政界人
第八章對時局的態度
一國內問題
瀧川事件
美濃部的天皇機關說
五條誓文
二對中國及中國人的同情
三太平洋戰爭與岩波的歐美觀
第九章日本投降後的活動
一感謝與期望
二病中的斡旋與奔波
第十章文化工作
一慰謝金
二風樹會
三文化勳章
第四篇私生活
第十一章興趣喜好
一登山、旅行
二歐美旅行
三騎馬
四美食
五閱讀、藝術
六建築——惜櫟莊
第十二章交友
第十三章家庭生活
第十四章為人與臨終
一岩波的為人
二病況與臨終
岩波茂雄年譜
岩波茂雄致辭——岩波書店創辦三十年

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週刊読書人 岩波書店社長岡本厚氏インタビュー


岩波茂雄への手紙 単行本 – 2003/11/7

「文化の配達夫」を自任する岩波茂雄。彼に寄せられた著者・読者からの膨大な書簡から大正・昭和の激動期の企画活動に深く関わる91人を精選。三木清・木山熊次郎からの手紙も収録。全差出人リストを付す。


内容紹介

吉田松陰を敬愛し河上肇訳『資本論』を公刊した茂雄には、煩悶と愛国が同居していた。自筆原稿・百名を越える関係者の追憶文・往復書簡など、あらゆる茂雄の関連原資料を通して、リベラル・ナショナリストとしての生涯と、近代日本の出版文化の基礎を築いた出版人としての事績をたどる。評伝を通して活写する、茂雄とその時代の風貌。

内容(「BOOK」データベースより)

自筆原稿・百名を超える関係者による追憶文・往復書簡など、膨大な伝記関係史料を使って、岩波書店創業者・岩波茂雄のリベラル・ナショナリストとしての生涯と、近代日本の出版文化の基礎を築いた出版人としての事績をたどる。吉田松陰を敬愛し河上肇訳『資本論』を公刊した岩波には、煩悶と愛国が同居していた。ナショナリストにしてリベラリスト、リベラリストにしてアジア主義者というある明治人による広角度の出版活動を、分裂ではなく統合の位相で捉える、書き下ろし評伝。岩波とその時代の風貌が鮮やかに甦る。




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写真でみる岩波書店80年 (グラフィック・レポート 別冊) 単行本 – 1993/11/24
岩波書店編集部 (編集)



信州への郷土愛を持ちつつ、東京で出版人として生きた岩波茂雄。溢れる活力と情熱で時代と向き合い、生涯青年のように道を求め続け、出版事業に邁進した。「一番無遠慮な友人」安倍能成が、温かい理解と忌憚ない批判の眼差しで描いた本書は、出版事業についてはもちろん、これまで知られることの少なかった私生活についても余すところなく言及し、出版事業者の気概に触れることができる。一九五七年に刊行された決定版伝記を、岩波書店創業一〇〇年を機に新字・新かなで送る。

岩波茂雄――リベラル・ナショナリストの肖像 単行本 – 2013/9/28

内容紹介

吉田松陰を敬愛し河上肇訳『資本論』を公刊した茂雄には、煩悶と愛国が同居していた。自筆原稿・百名を越える関係者の追憶文・往復書簡など、あらゆる茂雄の関連原資料を通して、リベラル・ナショナリストとしての生涯と、近代日本の出版文化の基礎を築いた出版人としての事績をたどる。評伝を通して活写する、茂雄とその時代の風貌。

内容(「BOOK」データベースより)

自筆原稿・百名を超える関係者による追憶文・往復書簡など、膨大な伝記関係史料を使って、岩波書店創業者・岩波茂雄のリベラル・ナショナリストとしての生涯と、近代日本の出版文化の基礎を築いた出版人としての事績をたどる。吉田松陰を敬愛し河上肇訳『資本論』を公刊した岩波には、煩悶と愛国が同居していた。ナショナリストにしてリベラリスト、リベラリストにしてアジア主義者というある明治人による広角度の出版活動を、分裂ではなく統合の位相で捉える、書き下ろし評伝。岩波とその時代の風貌が鮮やかに甦る。
內容簡介
在鎮雄發表一個受人尊敬和川Hajimeyaku“資本論”的吉田松陰,痛苦和愛國主義一直生活在一起。如懷舊句話,各方的往返信件以外的手稿,百餘人,通過相關的源材料的所有鎮雄,遵循生活,作為一個自由民族主義,刊物的事蹟,誰奠定了現代日本的出版文化的基礎。要通過卡夏傳記,鎮雄和時代的外觀。

內容(“BOOK”數據庫)
如懷舊句,由當事人比手稿,百人以上,具有巨大的傳記關係史料往返信件,打造生活,作為一個自由民族主義的岩波書店的創始人鎮雄岩波,現代日本的出版文化的根基這是遵循事蹟作為公關。在岩波發表一個受人尊敬和川Hajimeyaku“資本論”的吉田松陰,痛苦和愛國主義一直生活在一起。里維拉列表中的民族主義,明治人廣角的出版活動,誰是在里維拉列表被稱為亞洲的原則,在第一階段,而不是分裂,新寫傳記的整合服用。岩波和那個時代的外觀生動的復興。



物語 岩波書店百年史 1 「教養」の誕生 単行本 – 2013/9/28

  • 単行本: 320ページ
  • 出版社: 岩波書店 (2013/9/28)

内容紹介

地位や名誉に執着することなく、国家の組織にも属さず、みずからの手でみずからを支えていこうとした岩波茂雄が、どのような思想的軌跡をたどって岩波書店を創業するにいたったか。「教養」を「市民」へ開くため岩波書店が開拓した出版スタイルとは。綿密な考証により、生き生きと描きだす『物語岩波書店百年史』の第一巻。

内容(「BOOK」データベースより)

1913‐1930年代。「教養」をアカデミズムの牙城から「市民」の手が届くところへ。岩波書店の創業から出版活動が軌道に乗るまで。三人の書き手が描く、文化史としての出版社史(全3冊)
內容簡介
而不必固守地位和榮譽,不屬於國家機關,無論是要養活自己用自己的雙手在岩波茂雄,通過跟踪將建立什麼樣的思想軌跡岩波書店領導。該刊物的風格岩波書店率先打開了“學歷”到“公民”。在深入調查,生動地刻畫首卷“的故事,岩波書店百年歷史。”

內容(“BOOK”數據庫)
1913年至1930年的。“自由”從學術到大本營達到“公民”的手中。從它在岩波書店開始到出版活動走了。三作家平局,歷史,文化歷史發布者(全三冊)


物語 岩波書店百年史 2 「教育」の時代 単行本 – 2013/10/31

内容紹介

「岩波文化」という言葉さえ生みだした岩波書店の出版活動は、敗戦をまたいだ1930年代から60年代にかけて最高潮に達した。戦前の資本主義発達史講座の刊行、新書の創刊、津田左右吉事件、戦後の『世界』の創刊、昭和史論争など重要な論点をたどりながら、国民国家日本の「人を教育する文化」を担い続けた軌跡をたどる。

内容(「BOOK」データベースより)

「岩波文化」という言葉さえ生みだした岩波書店の出版活動は、敗戦をまたいだ一九三〇年代から六〇年代にかけて最高潮に達した。戦前の『日本資本主義発達史講座』の刊行、新書の創刊、津田左右吉事件、戦後の『世界』の創刊、昭和史論争など重要な論点をたどりながら、国民国家日本の「人を教育する文化」を担い続けた軌跡をたどる。
內容簡介
岩波書店,甚至催生了“岩波文化”出版活動,通過上世紀60年代從20世紀30年代達到了高潮橫跨失敗。戰前的資本主義演進過程出版的新書第一個問題,Sokichi津事件,戰後“世界”的第一個問題,而跟踪的重要問題,如爭議的昭和史,扮演著“文化育人”的民族國家在日本按照持續軌跡。

內容(“BOOK”數據庫)
岩波書店,甚至催生了“岩波文化”出版活動從20世紀30年代達到了20世紀60年代達到高潮橫跨失敗。戰爭的新書第一個問題,Sokichi津事件發生後,“世界”的第一個問題的戰爭前後“日本資本主義發展的歷史進程”的出版,同時跟踪的重要問題,如昭和歷史的爭論,文化,教育的“民族國家在日本的人由此可見,繼續發揮“的軌跡。

物語 岩波書店百年史 3 「戦後」から離れて 単行本 – 2013/10/31




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岩波茂雄と出版文化
近代日本の教養主義 (講談社学術文庫) 文庫 – 2013/12/11
村上 一郎 (著), 竹内 洋 (解説)
内容紹介

本書は、岩波書店の創業者である岩波茂雄をめぐる分析『岩波茂雄 成らざりしカルテと若干の付箋』(村上一郎著)と、解説(竹内洋)からからなります。
信州人である岩波茂雄はいかにして出版社を起こし、出版界を牛耳っていくようになったのか? その過程で何を利用し、何を切り捨てたのか? 「岩波文化」と呼ばれる一大潮流を作り上げ、日本の教養主義を牽引したが、そこに問題はなかったのか?
おりしも、岩波書店の興隆は、近代日本の「学歴貴族」の栄光の時代に呼応しています。近代日本のアカデミズムは外来で急ごしらえのところがあり、しっかりと熟成されたものではなく、見せかけの「前衛」で乗っ取ることが可能だと見抜いていたのが、岩波茂雄であると村上一郎は述べます。そして、日本のインテリゲンチャのあり方の底の浅さを見抜いています。
教育社会学者の竹内洋氏は、日本のアカデミズムのありようと教養主義の盛衰、そして出版業というものが、文化産業としてどのような構造を持つのかを、『岩波茂雄』を土台に据えて、問い直し、解明していく、一冊で二冊分の内容を持つ本です。
内容(「BOOK」データベースより)

村上一郎が著した、熱情的で文士的な評伝『岩波茂雄 成らざりしカルテと若干の付箋』は、岩波書店の深層と出版産業の構造に肉迫する。日本型教養は、なぜ泥臭いのか?出版文化とアカデミズムの間には、正統性調達の「相互依存」がなかったか?岩波文化と講談社文化の対立の図式は正しいのか?近代日本社会史を再考する試み。



這本書,並分析在岩波茂雄是創始人“施咂日由岩波茂雄的醫療記錄和一些便條的”岩波書店(作者村上一郎),評論(竹內浩)將Karakara的。
原因真宗人一個是岩波茂雄如何出版商,什麼開始去主宰出版界?在這個過程中使用任何東西,你或截斷?大趨勢叫做“岩波文化”創建的,但是開車日本的自由原則,是否有沒有問題呢?
適時,岩波書店的興起,是應對現代日本的“學術貴族”時代的榮耀。近代日本的學院派在國外,而不是堅決歲,就已經洞察匆匆的地方,它有可能劫持了“前衛”的假裝是,村上一郎是岩波茂雄說。我們通過管理的方式知識分子的日本淺薄的底部看到的。
竹內浩教育社會學家,上升和Arisama和日本學術自由主義原則的秋天,和出版東西叫做,無論是什麼樣的結構作為一種文化產業,奠定了基礎,為“岩波茂雄” Toinaoshi,繼續澄清,是一本書,有兩本書值得一書的內容。

內容(“BOOK”數據庫)
村上一郎寫到,熱情的一個人的信件具體評傳“施雜日由岩波茂雄病歷和一些粘性”是,以接近岩波書店的深刻和出版業的結構。日式風格的文科,為什麼不登大雅之堂的?出版文化和學術,“相互依存”之間從來就不是一個?岩波文化和正統採購講談社文化計劃衝突的重新思考是否正確?現代日本社會史嘗試。

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http://www.education.ntu.edu.tw/school/history/News/2005/Jan-Mar/news20050303_1.htm
百年岩波書店的塵封往事
轉載自【新華網
2005/02/05
編譯:文瓊  責任編輯:李雪芹

1916年(大正5年)元旦,岩波書店創立時的
岩波茂雄(首排右二)家族及店員。

1953年(昭和28年)時的岩波書店。

2005年1月暢銷岩波新書前三名:齊藤孝《溝通力》、
辛淑玉《生氣的方法》、五味文彥《源義經》。
隨著網際網路的普及和電子化的推進,書籍的閱讀時代是否已經宣告終結了呢?日本岩波書店社長山口昭男給出的答案是否定的。在他看來,不管科技如何發達,人們要深刻理解事物的本質,追尋問題的本源,都必須進行科學思考,而“書籍是促使人們進行科學思考的最強有力的武器”。這家信仰文字力量的出版社位於東京著名的“書的街道”———神保町,它自1913年創立以來,已經在這個靜謐的、四處飄溢著書香的小街上見證了92年歷史的風風雨雨。
  1913年8月5日,畢業于東京大學哲學系的岩波茂雄創立了這家以販賣及出版舊書為主的私人書店。按照當時的行規,所有的書籍無論新舊,一概都要打折,而岩波茂雄認為書是不能打折的,他堅持按書的定價出售,因而備受抵觸,甚至遭到嘲笑,這家書店在三個月甚至半年內都慘澹經營,但當它逐漸打開局面時,卻從此樹立了書按照定價出售的規矩,岩波茂雄用一句質樸的話概括了自己的經營理念:“我自己作為買主,飽嘗了購書之苦,以此為鑒,要秉持誠實真摯的態度。”
  1914年岩波書店刊行了夏目漱石的《心》,並以此為契機開展了一系列學術出版活動。1927年以學貫古今東西著稱的《岩波文庫》創刊。1938年岩波新書創刊,在二戰中,岩波書店出版了一系列逆國內政治潮流而動的書籍,從而確立了它在日本出版界的地位。
1946年它率先在戰敗的日本創辦了具有國際視野、呼喚和平的《世界》雜誌,1950年推出《岩波少年文庫》,1955年出版有“國民辭典”之譽的《廣辭苑》。1949年4月30日,岩波書店正式改組為股份制企業。
“岩波新書”的崛起
  書是文化的載體,有著幾十年歷史的岩波新書,同樣傳承著中日關係史上的一段過往,在二戰結束60周年之際,回首這段歷史,或許能對後人有所裨益。事實上,岩波新書的誕生與抗日戰爭密切相關,1937年盧溝橋事變爆發後,岩波茂雄為了促進日本國民對中國的正確理解,決心開設一個新的學術文庫,他採納了長田幹雄的建議,將這套書命名為“岩波新書”。但當時如果只做和時局相關的書籍,不僅讀者有一定的局限性,政治上更是障礙重重,出版非常困難,所以岩波茂雄決定把出書的範圍擴展,除了和中國相關的書以外,還把其他的一般專業書也放入了文叢中,使它具有了內容豐富的特點。
  1938年(昭和13年)夏,岩波茂雄籌集了20部書稿,於9月20日付梓,裝潢是由美術史家兒島喜久雄定的,他一開始提議用紅、黃、青、綠、黑褐色等五種顏色,但岩波茂雄決定只採用紅色一種顏色,以表達他的政治理念。11月20日,岩波新書正式刊行,出版了20冊書,每冊200頁左右,書的大小是參照企鵝叢書的樣式,長寬比例為1:0.618.當時的定價是每冊50日元,初版每冊就印了1萬本,全部銷售一空。此後,1965年到1976年,岩波新書的統一定價是150日元,現在平均定價在七八百日元左右。
  岩波新書的設計非常有個性,書封上印著一個從古代遺址出土的鵝形文物,扉頁上則是達‧芬奇的素描,代表著希臘的風神,按照風的位置,依次描繪著東風eurus、南風notus、西風zephyrus、北風boreas四位元風神的圖像。書的最後一頁印著一個放香料的容器,上面繪著一位吹笛的少女,封底的標誌是橄欖的葉子和果實,每一處細節都透著濃厚的人文氣息。對於飽受盜版之苦的中國書業,印刷精美、價格相對低廉、兼具學術性與大眾性的岩波新書或許指出了一條新的思路,此為題外話。岩波新書的發刊詞是岩波茂雄所寫,他情不自禁地對當時的政治體制表示了自己的憂慮和不滿,這些當時被視為過激的言論受到了右派的圍攻。
  在岩波茂雄的理念中,岩波文庫是為了普及古典,岩波全書是為了普及現代學術的基礎知識,而這套新的專業書則以時下的焦點問題為主題。他以《現代人的世界教養》一書為原型,批判了當時日本狹隘的國粹主義和神化的國家主義,力圖在日本讀書界引入世界的視野和科學的思考,哲學家三木清對他的這一計畫給予了很大支持。岩波新書是與厚重的岩波文庫並列的普及型書庫,當時有人擔心這個文庫會導致專業書品質的下降,但後來的事實證明這是杞人憂天。
日本知識界的良知
  岩波新書先後發行過紅色版、青色版、黃色版和新的紅色版四種。紅色版到1946年共出版了101本,青色版從1949年開始,出版了1000本,黃色版從1977年開始,出版了396本。1988年1月20日,岩波新書創刊50周年的時候,發行了新的紅色版,當月就發行了包括大江健三郎的《為了新文學》、廣松涉的《新哲學入門》等在內的八冊。主要分類包括:A(政治、法律)、B(經濟、社會)、C(思想、心理、語言、教育、宗教)、D(世界史、日本史)、E(文學、藝術)、F(記錄、隨筆)、G(理工、醫學和科學史)、H(舊的紅色版)等八大類。此後的岩波新書仍以與時代相關的主題為主,突出文化的縱深感,每月刊出數冊不等,迄今為止,已印出2400冊。
  1988年新版的發刊詞這樣寫道:“岩波新書創刊於1938年……通過出版為學術和社會貢獻一份力量,始終是岩波書店創立者的希望,因此創立了岩波新書……及至今天,這些根源性的問題更加嚴峻。我國近年來是否會重走獨善偏狹的道路,能否重新贏得亞洲民眾的信任,這樣的疑問並非毫無道理。創建具有人文精神的文化,是關注現實的岩波新書一以貫之的目標,這也是它在創辦50周年之際三度改變容貌的原因所在。”在日本經濟上仍處於強盛階段、政治上不斷謀求政治大國地位的80年代,代表著日本知識界良知的岩波書店,能有這般自省,實在令人唏噓不已。
  如今岩波書店的出版範圍包括人文、社科、自然科學、藝術、文學、兒童文學等領域,它推出了岩波文庫、岩波新書、岩波現代文庫、岩波少年文庫、岩波少年新書等系列,旗下囊括《世界》、《科學》、《思想》、《文學》、《圖書》等雜誌。這家當年只有四名店員的書店現在已經發展成一家有230名職員、註冊資金達9000萬日元的綜合性出版社。


《黃得時全集 第11冊 日本漢學II》2篇譯自《圖書》的文章,都很充實,令人感動:橋本萬太郎《回憶語言大師趙元任》,《圖書》1982.7,黃得時全集 第11冊 日本漢學II,pp. 329~336;藤枝晃《現階段的敦煌學》,《圖書》 1975.5,黃得時全集 第11冊 日本漢學II,pp. 337~362





黃彰輝 推薦其同學李嘉嵩 (李弘祺父親,回憶錄《一百年來》 )參加 Rockefeller Institutes Grant of $20 Million( 1955 )選世界20位學生赴美國學習。

梁國淦

Hanching Chung 有說要講《一百年後(sic 《一百年來》 )》,也經李教授同意。但還要酙酌講多少。因為書也還能賣;也希望大家是自己去看書。



作者/李弘祺 (美國紐約市立大學歷史學教授)
※ 先祖們
  我的祖父李崑玉先生(1880~1948)和父親李嘉嵩牧師(1914~1978)兩代傳道人的故事在家父寫的《一百年來》已經有詳細的交待,我不用在這裡多敘述。《一百年來》記述早期傳教士在生活時刻表現出信仰的美麗,和愛主的人所過的艱辛生活。在那個時代,傳道人日常遭遇的不是政治的壓迫或被譏為迷信的輕蔑,而是經濟的拮据。然而,他們從內心發出來對信仰的熱誠可以勝過金錢的誘惑或窮困的苦惱,使他們的生命不斷做出美好的見証,而充滿豐盛與快樂。

  如果有一句話可以描述先祖父和父親的傳教生活的話,那就是使徒保羅所說的:「憂傷,卻常有喜樂;貧窮,卻使許多人富足;好像一無所有,卻樣樣都有。」(林後,6:10).....
https://newmsgr.pct.org.tw/Magazine.aspx?strTID=1&strISID=104&strMagID=M2008051601476

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