2021年11月26日 星期五

台北書緣 (17):《松下理想國》《松下幸之助的教育觀》;素直的心;松下政經塾(Matsushita School of Government and Management)。天理教、天理大学、圖書館收藏(一誠堂等)。「松下幸之助が天理で学んだこと」松下幸之助の経営理念の一つ水道哲学「松下政經墊」的領袖教育

台北書緣 (17):《松下理想國》《松下幸之助的教育觀》;素直的心;松下政經塾(Matsushita School of Government and Management)。天理教、天理大学、圖書館收藏(一誠堂等)。「松下幸之助が天理で学んだこと」松下幸之助の経営理念の一つ水道哲学「松下政經墊」的領袖教育
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The Matsushita Institute of Government and Management (公益財団法人松下幸之助記念志財団 松下政経塾)

1979~
https://www.mskj.or.jp/

松下   Matsushita 1894~1989

追求世界及人類的繁榮、和平與幸福(PHP),於一九四六年就創立「PHP研究所」,


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松下幸之助的教育觀 1995
最近看了國際論壇報的一篇報導,指出美國高等教育失衡,其品質固然不錯,不過人算不如天算,博士供過於求,失業嚴重。因為企業一方面大事合理化,另一方面也有經驗了解就業的博士,大多以保住飯碗、薪水為主,談不上多富研發或創新精神.....美國的高等教育,一向質量俱佳,如今仍難免面臨外國籍學生造成博士失衡問題。這倒使我想起極力講究「平衡、和諧」的松下幸之助的教育觀,值得參考。

松下幸之助先生(一八九四~~一九八九)小學沒讀完,後來卻成為國際上知名的「日本經營之神」。他生前有次到哈佛大學講演,對於美國最優秀的商科學生,大談管理哲學和宏圖(vision,二百年後的企業、國家觀等),使得西方學生大惑不解。然而松下生為實現其追求世界及人類的繁榮、和平與幸福(PHP),於一九四六年就創立「PHP研究所」,出版各種書籍、刊物,推行各種教育及公益活動。松下先生更於一九七八年九月,設立「松下政經塾(Matsushita
School of Government and Management)」,以柏拉圖及東方傳統的君王教育方式,培養未來的領袖人才。

松下先生雖非教育專家,但是很懂得真正的教育,我個人認為他的看法,自成一家之言。他深知任何事業要靠人,所以人才的培育非常的重要,不過,他認為日本企業的在職教育發達固然可喜,但是最要緊的卻是教導員工「熱誠」等精神教育。

松下先生對於日本的教育資源浪費很痛心。基本上他認為日本「廣設大學」,而人人以大學文憑為目標的價值觀,形成「不懂得真正民主而以企業方式經營許多野雞(野生)大專」的失衡教育體系。

他認為「調和」為大自然的基本道理,所以應貫徹人人都受義務教育的要求,但是高等教育則應限定資格。大部分人要儘快就業,或接受類似德國式學徒制教育。

他寫過一篇《假如東京大學消失.....》痛陳日本各大學浪費國家寶貴資源,而成績卻是乏善可陳,老師常很自私、驕傲或是擁兵(學生等各種資源)自重,由此可見日本教育的沈
之一面。所以他極力主張日本大學數目應該減半,老師待遇提高,而國民要揚棄「師長貴而士兵賤」的不民主、虛榮心態。換句話說,他認為大學該培育精英。

我不認為松下先生的想法毫無意義,反而以為很值得我們進一步研究其教育體系觀。在他著名的《松下理想國》中,國家政府採四院制,即除一般的行政、立法、司法院外,更添設「教育院」,這種"組織洞識力"是非凡的。他認為義務教育期為十年,由五歲入學,內容以道德、歷史、外語(國際觀)及群育(世界大同)為主。

我們對他的見解,或應不卑不亢地想想。經營之神的重質不重量的素人教育觀,值得三思。畢竟,大學等高等教育為社會發展的泉源。
---84.12.18.---1995



天理教
天理教の紋(中山家の家紋、梅鉢を象ったもの)

教会本部。正面が南礼拝場、右手が東礼拝場、左手が西礼拝場
設立 1838年 (183年前)
設立者 中山みき
種類 宗教法人
法人番号 6150005003176
本部 日本 奈良県天理市三島町1-1
公用語 日本語
ウェブサイト www.tenrikyo.or.jp



天理教の神殿(日中)




我在《松下幸之助的教育觀》一文中,已稍為介紹「松下政經墊」的領袖教育(立報1218)







天理大学
Tenri University Hall No.4.JPG
杣之内キャンパス

天理大學(日語:てんりだいがく,英語:Tenri University),是位在奈良縣天理市私立大學


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WEB動画 ピックアップ動画. 朝の信仰読本 #20「松下幸之助が天理で学んだこと」 ...
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人的工作目的是什么?

 我和PHP研究所的编辑和研究人员一起去了天瑞。


 事实上,当我着手写一本松下的传记时,我对与哪种媒体和哪家出版商交谈进行了大量的思考。


 PHP是对松下幸之助的信息积累最多的一个。


 然而,PHP是一家由松下幸之助创立的公司,基于这家公司来写他,可能会让人对我的叙述的独立性和公正性产生严重怀疑。


 即使是我这个粗枝大叶的人,也想了一阵子。


 然而,已经有很多关于松下幸之助的传记了。


 虽然世界上总是有赞美和批评,但在当时很明显,正面的评论多于批评。 这在今天可能仍然是事实。 看来,松下的作品在经济衰退之风吹起时受欢迎程度增加的黄金法则仍然存在。

 如果是这样的话,无论我写什么,我甚至不能扮演一个提灯人的角色。

 那么,最好是为PHP杂志写作,它有最充足的材料....。

 我相信,通过使用PHP掌握的所有材料,特别是一开始就出版的公司通讯,我能够使我的书与其他松下的书区别开来。


 让我回到天理。


 1932年初,松下幸之助访问了天理。

 他的一个商业伙伴,一位U先生,是天理教的狂热信徒。

 既然他抽出时间来访问天理,松下就决心彻底看清这个地方。

 当他跟随乌先生的向导时,松下明白,天理的建筑的宏伟程度是无与伦比的。

 他还被告知,建筑的建造完全归功于信徒的服务,而且申请这种服务的人非常多,不可能满足所有的服务要求。

 当时,大山美纪去世50周年纪念日即将到来,新的大山堂和寺庙的建设正在进行中。


 松下对人们的工作感到惊奇,并认为。 我们都是为了赚钱,为了谋生而工作。

 但天理的人民是免费工作的。 他们的工作是免费的,但他们比自己工厂的工人工作得更开心、更愉快。


 这是为什么呢?

 这是因为天理有一个理想。 这是因为我们有一个使命。 因为他们为任务而工作,所以他们的生活是有价值的,是愉快的。

 如果是这样的话,那么松下电器作为一家公司的使命是什么? 如果有一个神圣的使命,那么松下就能生产出和天理一样旺盛的劳动。 /这是来自水龙头的水。 加工过的自来水是有价格的。 今天,人们都知道,如果你偷了有价值的东西,你会受到指责。

 然而,尽管自来水是经过加工的,是有价值的,尽管乞丐们拧开水龙头偷着喝,尽情地喝,但我们很少听到对水本身的指责。 这是为什么呢? 因为它的价格如此丰厚"(《我的思考方式》)。


 松下由此得出他的 "使命":通过生产像自来水一样廉价和丰富的电气产品,从地球上消灭贫穷。



芹泽浩二郎是昭和时期的著名作家,其作品包括《巴黎之死》,他被迫努力学习,因为他的父亲加入了天理教,并捐赠了所有的家庭财产。 他是一个优秀的学生,通过了帝国大学和高级公务员考试,但他所承受的苦难是巨大的。 然而,与此同时,他对他的父亲有着深深的敬意,他的父亲过着有信仰的生活。


 在他的自传《人的命运》中,他用另一个人的话来描述他的父亲


那里有各种各样的病人,但你父亲是一个伟大的人。 当一个被鲸脂弄瞎的孩子来到他面前时,他用舌头舔掉了他眼睛上的鲸脂。


 在我用舌头舔了两下之后,孩子的红眼睛就好了,这真是个奇迹。 在场的人都倒下了,但我父亲会帮他一把,擦去脓液,用纸盖住他的眼睛,但他并没有消毒。


 那人高兴地回家了.... (省略)我仍然记得,你父亲当时告诉我的话。 他非常清楚地告诉我,坐在我们祖先的财富上,用华丽的大门来帮助人们,这不是上帝的乐趣。


至第四卷。


通过www.DeepL.com/Translator(免费版)翻译




 1949年創校,簡稱天大天理

學校圖書館收藏有朝鮮王朝時代國寶級山水畫家安堅的《夢遊桃源圖》,且由於安堅作品稀少,目前只有《夢遊桃源圖》確認為安堅所繪,因此更顯珍貴。






人間は、何のために働くのか

 天理には、PHP研究所の編集者、研究スタッフとともに行った。

 実際のところ、松下の伝記を書く目論見を抱いた時、どの媒体、どの版元に話をするかでは、大分、考えた。

 松下幸之助について、もっとも厚い蓄積をもっているのは、PHPである。

 とはいえ、PHPは、松下幸之助が創始した会社、企業であり、そこに拠って松下を書く事は、記述の独立性、公平性において、著しい疑義を生じる懸念があるのではないか。

 厚顔な私も、少しは考えた。

 しかし、松下幸之助の伝記等は、既に夥しく出ている。

 毀誉褒貶は世の常ではあるけれど、批判よりは肯定的評価の方が多いのは一目瞭然、というのが、その当時の趨勢であった。今でもそうだろう。不況風がふけば、松下翁の著作が伸びるという黄金律は、いまだ健在のようだ。

 だとすれば、私がどう書こうと、提灯持ちの役割すら果たせまい。

 ならば、もっとも潤沢に資料を備えている、PHPの雑誌で、執筆させて貰う方がいいのではないか・・・。

 その判断は、今の時点から見ても、間違っていなかったと思う。PHPが所蔵している資料、とくにごく初期から発行されていた社内報の類を縦横に使う事で、拙著は他の松下本と一線を画せたと思っている。

 天理に話を戻す。

 松下幸之助が、天理を訪れたのは、昭和七年初頭であった。

 取引先のU氏という人物が、熱心な天理教の信者だったのである。

 松下は、折角、時間を割いたのだから、徹底的に見聞してやろう、という意気ごみで臨んだ。

 U氏の案内に従った松下は、たしかに天理の建築の壮大さが、他に例をみないような規模である事を理解した。

 しかも、その建築はすべて信者の奉仕によるものであり、その奉仕の申し込みが多数に上るので、満足に希望をかなえて、奉仕に従事させることが出来ないほどだ、と。

 時期としては、教祖中山みきの没後五十年が近づいており、教祖殿と神殿の新築が進められていたので、その盛況はひときわ甚だしいものであったろう。

 その働きぶりに、松下は驚くとともに、考えた。人は誰もが、金を得るため、生活の資を得るために働く。

 ところが、天理の人々は、只で働いている。只働きなのに、自分の経営する工場の労働より、楽しげに、生き生きと働いている。

 なぜか。

 それは、天理には、理想があるからだ。使命があるからだ。使命のために働くから、生き甲斐があり、楽しい。

 であるとすれば、一企業である松下電器の使命とは何か、聖なる使命があれば松下電器にもまた、天理と同様の、溌剌たる労働が産まれるのではないか。「しからば聖なる経営、真個の経営とはいかなるものか。/それは水道の水だ。加工されたる水道の水は価がある。今日、価あるものはこれを盗めば咎められるのは常識だ。

 しかるに、水道の水は加工された価あるものなるにもかかわらず、乞食が水道の栓を捻って存分にその水を盗み飲んだとしても、水そのものについての咎めはあまり聞かない。これは何故か。それは価あるにもかかわらず、その量があまりに豊富であるからである」(『私の行き 方考え方』)。

 そこから松下は、電気製品を水道水と同様に、安価にふんだんに生産することで、地上から貧困を消滅させる、という「使命」を導いたのだ。

『巴里に死す』などで知られる、昭和の人気作家、芹沢光治良は、父が天理教に入信し、一切の家財を寄贈してしまったため、苦学を強いられた。秀才だったために、一高を経て帝大、高等文官試験合格を果たしたが、その間の苦労はなみなみならぬものがあった。けれども、同時に信仰に生きた父を深く尊敬もしていたのである。

 自伝とも云い得る大長編、『人間の運命』で、自らの父について、他者の口を借りながら、こう述べている。

「いろんな病人が集まったが、お父さんは偉かったですよ。トラホームでしょうな、目脂で目のふさがっている子供が来たところ、その目脂を、お父さんは舌でなめてとってしまったですからね。

 お授けをして、二回舌で目をなめてやると、真赤な目がよくなったから、不思議でした・・・夜おそく、毎夜のように山根村から癩病患者が頬かぶりをして、来てね。居あわせた人は後ずっさりしたが、お父さんはお授けをして、膿を拭いてやったり、お紙をはったりしたものだが、消毒もしなかったですからね。

 その人は喜んで帰って行ったが・・・お父さんは自分を完全になくしていられた。(中略)私は今も覚えていますよ、お父さんがその時に話してくれたことを。祖先の財産の上にあぐらをかいて、立派な門構えで、人を助けるなんて、神様のよろこばれることではないと、今度はっきり教えられました」

以降 vol.4 へ。

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