Tarkovsky
http://www.youtube.com/watch?v=quoWpNljHRU
Published on Aug 15, 2012
During the shooting of Andrei
Tarkovsky's last film Offret, cameraman Arne Carlsson taped around 50
hours of behind the scenes footage. Editor Michal Leszczylowski took the
material and added scenes of previous interviews and interesting
statements from the script of Offret and from Tarkovsky's book
'Sculpting in Time'. The result is a documentary that shows the way
Tarkovksy worked: carefully building each scene. Shows why he did the
things he did: his vision on film. And shows the emotion of the man
Tarkovsky: his great disappointment when the camera breaks while
shooting the house going up in flames.
Written by Arnoud Tiele (zelva@tiele.nl)
Director: Michal Leszczylowski
Writer: Michal Leszczylowski
Written by Arnoud Tiele (zelva@tiele.nl)
Director: Michal Leszczylowski
Writer: Michal Leszczylowski
1987
Sculpting In Time (Russian "Запечатлённое время", literally "Depicted Time") is a book by Russian filmmaker Andrei Tarkovsky about art and cinema in general, and his own films in particular. It was originally published in 1986 in German shortly before the author's death, and published in English in 1987, translated by Kitty Hunter-Blair. The title refers to Tarkovsky's own name for his style of filmmaking.The book's main statement about the nature of cinema is summarized in the statement, "The dominant, all-powerful factor of the film image is rhythm, expressing the course of time within the frame." Tarkovsky describes his own distaste for the growing popularity of rapid-cut editing and other devices that he believes to be contrary to the true artistic nature of the cinema.
The book contains a great deal of poetry written by the filmmaker's father Arseny Alexandrovich Tarkovsky along with a fair amount of Tarkovsky's personal writings on his life and work, lectures and discussions during making of Andrei Rublyov with a film history student named Olga Surkova, who later became a professional critic and helped in writing of this book. The book has commentary on each of his 7 major feature films, and his complex relationship with the Soviet Union. The final chapter, a discussion of his film The Sacrifice, was dictated in the last weeks of his life.
勞動節收到哈佛大學商學院的通信,資深的教授主持網路討論“服務領導”。
Why Isn't 'Servant Leadership' More Prevalent?
With servant leadership, a leader's primary role is to serve employees. Everyone from Lao-Tzu to Max De Pree thinks this a wonderful model. Why then, asks Professor James Heskett, is this style so rare among CEOs?
我注意這主題近廿年了。
不過,思想受回憶與今天讀的書中的故事所影響:在張玉芸著的《出口》(台北:釀出版社,2012) 中,某篇 (由於我採取翻讀方式,目前還找不到確切的篇名)。大意是一位年青人受邀要去西班牙某村落旅行,他沒什麼盤纏,不過有一技之長,即他會幫人理髮。於是他的朋友告訴村民,希望大家等這位朋友來訪時,再給他理髮,幫助客人。
http://www.books.com.tw/exep/prod/booksfile.php?item=0010559487
為什麼這則故事會搬到這兒呢?因為我想起一位服務領導的奇人,他在拙譯《戴明領導手冊》中。故事是某位總經理也有理髮這一技之長。他總會邀請員工來他辦公室,享受免費的理髮服務。過程當中,難免聊聊天,交流交流。
理髮當然是特例。比較常見的方式是邀請員工到主管的家,做菜請客。
我以前在某位老員工生日邀他到圓山俱樂部請他一頓。這件事,竟然是他服務公司三十多年的第一次,所以他退休時,特別感謝我一番。
- 余華《活著》《十個詞彙裡的中國》「我們教育他們」
- 臺大:傑出教師 /校友雙月刊/意識報/ 臺大學生報/火花時代/ 臺大電影節/藝文年鑑
- Le Petit Prince ( Antoine Saint-Exupéry) /《玫瑰的回憶...
司馬觀點:林益世奇案(江春男)
台灣司法果然和月亮一樣,初一十五各不同,對藍對綠不同標準。林益世案的判決,對司法公信力是一大傷害,但對挺扁人士卻是一大鼓勵,他們更有理由相信扁案是政治迫害。
檢舉人反而要逃亡
林益世以立委身分收了廠商6300萬元,之後以行政院祕書長身分想追加8300多萬元,廠商不甘勒索憤而錄音檢舉。結果,法官明鏡高懸,認為他是以地方勢力和黨政關係藉勢藉端,不構成貪污要件;只以恐嚇得利和財產來源不明罪,判他7年4個月,其他人統統無罪。
檢舉他的廠商,被法官認定錄音被剪輯,證詞不可盡信,現在反而要逃亡。
林案的判決書像法條說明書,盡量採最限縮解釋,以為他脫罪;例如,它不採實質影響力之說,廠商所購買爐渣,不屬林益世的法定職掌,這種法律見解剛好與扁案完全相反。
法官的心證認定中鋼是一家民營公司,政治力難以介入,林益世雖然是馬英九愛將,且貴為行政院祕書長,也無法干預內部業務。這種睜眼瞎話,雷人雷語,真是欲脫之罪何患無辭。
林益世沒利用職務藉勢藉端,就讓廠商心生恐懼,乖乖交出6000多萬元,好像這些錢是天上掉下來的,一撿就有。想不到,林益世還貪求無厭,第二次追加到8300萬元,幸好最後並未得手。林益世不是黑道,靠什麼讓人心生畏懼,法官一語帶過,但老百姓對此心知肚明。
檢舉他的廠商,被法官認定錄音被剪輯,證詞不可盡信,現在反而要逃亡。
林案的判決書像法條說明書,盡量採最限縮解釋,以為他脫罪;例如,它不採實質影響力之說,廠商所購買爐渣,不屬林益世的法定職掌,這種法律見解剛好與扁案完全相反。
法官的心證認定中鋼是一家民營公司,政治力難以介入,林益世雖然是馬英九愛將,且貴為行政院祕書長,也無法干預內部業務。這種睜眼瞎話,雷人雷語,真是欲脫之罪何患無辭。
林益世沒利用職務藉勢藉端,就讓廠商心生恐懼,乖乖交出6000多萬元,好像這些錢是天上掉下來的,一撿就有。想不到,林益世還貪求無厭,第二次追加到8300萬元,幸好最後並未得手。林益世不是黑道,靠什麼讓人心生畏懼,法官一語帶過,但老百姓對此心知肚明。
李朝卿最多也輕罪
依照中共反貪研究報告,平均要貪污到第五年,才會出事。貪污從小錢貪起,要到8300萬元,段數一定很高。林益世如此膽大包天,誰借給他這個膽呢,除了身邊的馬大人,還有誰。照這個判決邏輯,南投縣長李朝卿最多也是輕罪,彰化縣長卓伯源胞弟無身分職務可以貪,馬英九主席辦公室主任賴素如實在太無辜了。
這種藍綠有別的判決,好像戰勝國的軍事法庭,阿扁好像淪為戰犯,不關到發瘋,豈不便宜了他。
台湾OTC市場でロート製薬が奮闘
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そのような国内市場の低迷の中、アジアを中心に海外市場に活路見出す企業が増加しているという。なかでも台湾は親日国家という点も踏まえ、日本 の製品への関心が高く、OTC市場も同様であると考えられる。「日本製を好む台湾人は常に日本で発売され人気のあるアイテムをチェックしています。 チェック方法は、口コミ(友だちやブログ)やガイドブック。台湾で発売されているガイドブックにも、日本ブランド医薬品や化粧品も数多く掲載されていま す」。そう語るのはロート製薬の広報担当者。また、台湾人が日本へ旅行に行く目的の主はショッピングであり、その際には事前に本やネットで商品を検索して ショッピングあるいは、日本旅行に行く友達がいれば、頼んで買ってきてもらうことが主流となっているようだ。
前述のロート製薬は今年3月、メンソレータム台湾社より目薬「ロートジー」を、5月に「リセ」を発売するが、台湾でのアイケア市場はOTCのセ グメントの中でも一番小さく、全体のOTCマーケットサイズの3%、毎年の成長率も約3%以下だという。これは台湾では目薬を点す習慣はあまりなく、子ど ものころは特に目にトラブルがあれば眼科医へ行く傾向にあるという要因が大きい。また、承認を得るには労力と時間がかかるため、市場はあまり動かないとい うのもあるだろう。しかし2002年のロート台湾アイケアビジネスは、10年前と比較しても275%アップとなっており、規模は小さいながら、伸長率の高 さは大きいという。
「台湾では新VロートEXとRohto originalを2002年に発売し、C3を2005年に発売しています。今回、8年ぶりの目薬発売となります。台湾での医薬品の新製品は承認が難しい ので困難を極めました」。困難を極めた理由は、他国と比較して多くの書面をTFDA(Taiwan Food and Drug Administration)に提出する必要があり、承認取得までもいくつもの質問事項に返答する必要があるということ。特にサイト登録については、詳 細な書面を要求され、ほとんどの日本の会社がサイト登録のライセンスの更新にかなりの労力が必要だとされており、台湾のOTC市場に参入し、成功を収める のは容易ではないようだ。
過去にも1998年~2001年にかけてCornere Gelと言うアイケアブランドが多額の広告費を投資してブランド育成を心がけたが、これもなかなか成長せず今も発売はされているものの、ブランドとしては 縮小されている状況なようだ。その中でも台湾のロート目薬は2011年の売上金額をみると新VロートEXは前年比112%、Rohto originalは前年比114%、C3は前年比111%と着実に成長しているようだ。
また、台湾は日本と違って目薬市場がそれほど大きくない上、台湾目薬の承認基準は、日本より非常に厳しく新しい製品を導入するのに難しいとされ ていた。要因としては前述の通り、台湾の薬事法的な目薬の定義が日本のように疲れ目や目の不快感に目薬、とはならず、治療薬としての位置づけであるからだ という。しかし近年、日本と同様に、台湾人もPCや携帯などの導入により、目も疲れ、充血や乾燥による不快感を感じているのは確実で、「今回の発売に至る 経緯も確かに困難を極めましたが、台湾にはニーズがあり、そこに導入する意義、そしてチャンスがあると信じ、チャンレンジしていく精神で、「ロートジー」 「リセ」をメンソレータム台湾に提案しました」。
しかし今回発売する「ロートジー」「リセ」の発売にも、ロート製薬は勝機ありと見ている理由が他にもあるという。「このロートジー、リセは、台 湾の歌手や人気モデルさん達がテレビやブログなどに使用しているとファンに紹介していることもあり、発売前から既に有名で、メンソレータム社になぜ発売し ないのか?との問い合わせも多いのです。リセに関しては台湾では「小さい花」と言うあだ名もついているぐらい口コミで有名になっているんです」と言う。
台湾では目薬は日本のように目のケア品としてではなく、治療薬としての認識が高い。そのためメンソレータム台湾社は、新VロートEXなどを毎日 使える疲れ目に効果のある目薬としてアプローチしてきたという。今後は ロートジーやリセを発売することにより更に認識を打破し、このアイケア市場の拡大に力を注ぎ、台湾での存在感を確固たるものとしたいと考えているようだ。 また、今回のロート製薬の奮闘が、日系企業全体の積極的な進出につながるかもしれない。(編集担当:宮園奈美)