2023年9月2日 星期六

日台萬華鏡 再版 台日萬華鏡2022 世界的關於種田山頭火新書發表會林水福2023.8 Taneda Santōka 1882~1940 :吃(便當)、喝 (酒、水)、俳句、行走.......《行乞詩人-種田山頭火》 t『山頭火句集』For All My Walking:《八千頌般若》 ;

 

2023年8月13日,林水福教授ˊ名俳人 Taneda Santōka (種田 山頭火)專書發表會很豐富.....
另外的想像力是,採團隊方式,更寬懭、深入的介紹

‘’水福老師曾告訴我,一天能做五件事,包括翻譯、寫書法等等,聽了實在教我好生羨慕。 最近老師又有新作出版了。週日參加林水福教授的翻譯詩作——種田山頭火俳句百首精選《行乞的詩人》發表會,非常有趣。這是臺灣第一本譯介山頭火的作品,早在老師翻譯途中不定期發表於副刊時即拜讀了部分俳句,發表會這天,老師以更全面完整的賞析方式來介紹了自由律派俳人山頭火。 傳統俳句為「五-七-五」並加上季語的格式,在山頭火的作品中,是沒有這樣的限制的。 わかれきてつくつくぼうし 與子分別,寒蟬聲不絕 分け入っても分け入っても青い山 撥草前行行復行,依舊青山入眼來 然而,山林草木仍是不停行腳的山頭火極大的靈感來源,甚至可依自然元素來替山頭火的作品分類。對他來說,「喝酒、走路、作詩」就是三位一體。 同場出席的還有作家栖來光女士及輔大日文教授中村祥子老師,三位老師除戲稱自己為「山口組」外(山頭火和兩位日本老師皆為山口縣出身),也展示了回到家鄉拜訪山頭火故居的照片。聽兩位老師一說,才曉得原來門司港的對岸下關就隸屬於山口縣啊,所以我六月才剛去過呢。 可能發現聽眾都滿愛喝酒的,現場準備了吟釀「山頭火」,我也才知道山口縣水質優良,出名的「獺祭」便是山口出產。旭川拉麵山頭火亦以此詩人為名,啊呀,此刻方恍然大悟,數年前在大雪之夜去過本店的我,更是早就結下與山頭火的緣分了。‘’


#精彩活動回顧看這邊 #行乞的詩人 #種田山頭火俳句俳句百首精選 #新書分享會 ⠀ 8/13(日)下午,由 #林水福 老師帶著與俳句詩人種田山頭火同為山口縣人,戲稱為「山口組」成員 #栖來光 老師及 #中村祥子 老師一起, 向各位讀者分享《行乞的詩人:種田山頭火俳句百首精選》一書。 ⠀ 中村祥子老師以「風之詩人」為題,將山頭火的俳句帶出, 並藉一張張山頭火的簽名字帖,讓讀者了解每個時期的山頭火書寫特色。 ⠀ 剛從日本回來的栖來光老師,以「水」作為介紹山頭火的導引,藉由特地遠赴日本山口縣拍攝的照片,將讀者從聯經書房一瞬間拉至山口縣「其中庵」, 引領讀者踏上山頭火透過水源,思念母親而寫成的俳句之旅。 ⠀ 林水福老師藉著俳句,帶領讀者從頭一步步去了解山頭火的一生, 除了介紹種田山頭火的生平,水福老師更現場親口吟詠短歌, 並與讀者們介紹翻譯時的點點滴滴。 現場不時被水福老師的風趣分享逗得哈哈大笑。 ⠀ 謝謝讀者和我們一起享受風雅的日本俳句之美, 如果您也對種田山頭火精彩的一生與俳句感興趣, 一定要讀林水福老師所譯《行乞的詩人:種田山頭火俳句百首精選》, 絕對會收穫滿滿喔!

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我2021年1月的直播,有英譯介紹,林景淵中譯介紹。
山口,西京都的古城之美:走入日本與台灣交錯的時空之旅。「不朽的青春-臺灣美術再發現」;名俳人 Taneda Santōka (種田 山頭火)......両陛下、山口県入り 植樹祭出席のため





種田山頭火 Taneda Santōka 1882~1940/たねだ さんとう.《行乞詩人-種田山頭火》 t『山頭火句集』The Ashtasahasrika Prajnaparamita (Perfection of Wisdom in 8,000 Verses). 《八千頌般若》 ;


https://www.facebook.com/hanching.chung/videos/486339872830806


爬呀、爬呀、爬呀!
爬過一座又一座的森林,
走向雲端。
山頭火 / 林皎碧 譯
*** ***
這首俳句,應該是山頭火浪跡天涯途中的感觸吧?卻像我此時的心情寫照。
譯呀、譯呀、譯呀!
譯完一頁又一頁的稿,
走向雲端。
走向雲端日,正是「出頭天」時。
(圖檔下載自網路)



山口,西京都的古城之美:走入日本與台灣交錯的時空之旅。「不朽的青春-臺灣美術再發現」;名俳人 Taneda Santōka (種田 山頭火)......両陛下、山口県入り 植樹祭出席のため


 山口,西京都的古城之美:走入日本與台灣交錯的時空之旅。「不朽的青春-臺灣美術再發現」;名俳人 Taneda Santōka (種田 山頭火)......両陛下、山口県入り 植樹祭出席のため

https://www.facebook.com/hanching.chung/videos/4153123861365056

種田山頭火『山頭火句集』
朝倉 文夫(あさくら ふみお、1883年明治16年)3月1日 - 1964年昭和39年)4月18日)は、明治から昭和彫刻家(彫塑家)である。号は紅塐(こうそ)。「東洋のロダン」と呼ばれた。舞台美術家画家朝倉摂(摂子)は長女、彫刻家の朝倉響子は次女。
山口,西京都的古城之美:走入日本與台灣交錯的時空之旅。「不朽的青春-臺灣美術再發現」;名俳人 Taneda Santōka (種田 山頭火)......両陛下、山口県入り 植樹祭出席のため

それは、一茶の開いた俳句の、いわば人間化の道が、昭和以降の川柳とつながり尾崎方哉と山頭火の自由律俳句に流れいって、生き生きとした生命の詩の川の新しい伝統になっているということです。これが、何よりもの一茶の芸術の生命の証なのではないでしょうか。(p258)

Taneda Santōka (種田 山頭火, birth name: Taneda Shōichi 種田 正一; 3 December 1882 – 11 October 1940) was the pen-name of a Japanese author and haiku poet. He is known for his free verse haiku — a style which does not conform to the formal rules of traditional haiku.

The word Santōka can be understood in at least two different ways. The literal meaning is "Mountain-top Fire".[5] However, it can also mean "Cremation-ground Fire," since "mountain-top" is a metaphor for cremation grounds in Japanese.[6] It has been speculated that this choice of name could be related to the traumatic experience of the suicide of Santōka's mother


山頭

解釋:
  1. 山巔、山頂。《三國演義.第一○一回》:「司馬懿引敗兵奮死突出重圍,占住了山頭。」《儒林外史.第三八回》:「那老虎到嚇了一跳,連忙轉身,幾跳跳過前面一座山頭,跌在一個澗溝裡。」牆壁。《西遊記.第二三回》:「兩山頭掛著四季吊屏。」墓地、墳地。以墳塚常在山上而得名。《金瓶梅.第一四回》:「那日也教吳月娘辦了一桌席,與他山頭祭奠。」





塐,读音是sù,释义为古同“塑”,用泥土等做成人和物的形象。...フッターのリンク

   嵐山光三郎  《行乞詩人-種田山頭火,林景淵 譯 《扶桑書物語, 185~97


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【自由副刊】山頭火俳句 三首/林水福譯
2022/01/16 05:30

◎林水福
譯◎林水福





1.撥草前行行復行 依舊青山入眼來

說明:

這首俳句的「前言」:「大正十五年四月,背負著無解的困惑,開始行乞流轉之旅。」

這之前山頭火為了斬斷世俗的煩惱,出家。在觀音堂住了大約一年。非但斬不斷俗世的煩惱,反而背負無解的困惑,於是離開觀音堂,開始無特定目的行乞之旅。這首俳句歌詠的是踏入九州山地的實景描述。依村山護的看法,那時山頭火心中或有「遠山無限碧層層」禪語的念頭。青山無盡頭,心中的迷惑也無解。這是心象風景與旅途實景重疊的一句。


2.頭頂炎天,托缽向前


說明:

山頭火給老師荻原井泉水的信中說:「我只是走路、走路、只是走路、感覺走路可以解決一切。」做為一個行乞僧,唯有走路,停止走路意味著曝屍荒野。

行乞有幸與不幸,對此山頭火說:「行乞非如行雲流水不可,稍一停滯,馬上亂了。以施捨的食物活下去,像樹葉飄落,像風吹,有緣就停步,無緣則離去,不達到這境地為何而行乞?還是要一步一步到達。」可見對山頭火而言,行乞本身就是一種修行。


原文「炎天」用「いただいて」顯見虔敬與謙虛之心。


3.孤鴉啼鳴,我亦一人行


說明:

這首俳句「前言」:「和放哉居士之作」。

「放哉居士」指的是尾崎放哉。同是自由律俳句詩友,自絕於社會,身無一物,1926年的4月7日,在小豆島的南鄉庵病死。有趣的是十天後,山頭火耐不住味取觀音堂獨居的寂寞,開始行乞之旅。

「前言」裡說「和放哉居士之作」,究竟是放哉的哪一句俳句呢?「烏がだまつてとんで行った」(烏鴉默默飛走了)日文「烏」、「鴉」同意,念法亦同。放哉默默捨世而去,因此,這裡的烏鴉視為象徵手法的運用,或許更有意思。

二人生前未曾會面,然彼此心儀。山頭火日記中如此記述:「讀放哉書簡集。羨慕放哉無視(不能說超越,他其實是過於急著去死)生死,我之前也有過二、三次嘗試自殺,即使那樣的場合也不敢斷言無生之執著(以自殺未遂結束,即為證據之一)。」放哉死後,山頭火亦常想起,這首即為例證之一。



Poetry[edit]

The following poem is a typical example of Santōka's work:

What, even my straw hat has started leaking

笠も漏り出したか

kasa mo moridashita ka

This poem exhibits two major features of free verse haiku:

  • It is a single utterance that cannot be subdivided into a 5-7-5 syllable structure, and
  • It does not contain a season word.

The poem does, however, hint at a natural phenomenon — rain — by referring to the straw hat and to the fact that it is leaking.

Below are further examples of free haiku poems by Santōka:


  • Excerpts from Hiroaki Sato’s translation of Santōka's Grass and Tree Cairn:
I go in I go in still blue mountains
Wakeitte mo wakeitte mo aoi yama


Fluttering drunk leaves scatter
Horohoro yōte ki no ha chiru


  • Excerpts from Burton Watson’s translation For All My Walking:


there
where the fire was
something blooming
yake-ato nani yara saite iru


feel of the needle
when at last
you get the thread through it
yatto ito ga tōtta hari no kanshoku

Further reading[edit]

  • Taneda Santōka. Santoka: Grass and Tree Cairn, translated by Hiroaki Sato, Red Moon Press, 2002 ISBN 1-893959-28-7
  • Taneda Santōka, The Santoka: versions by Scott Watson, translated by Scott Watson, Bookgirl Press, 2005. ISBN 4-915948-41-2 C0098. 41pp. Over 100 haiku and two essays
  • Taneda Santoka. Walking By My Self Again, translated by Scott Watson, Bookgirl Press, 2011 ISBN 978-1-933175-03-4 [68 pp. close to 200 haiku and translator's note]




代表句
  • あるけばかつこういそげばかつこう
  • へうへうとして水を味ふ
  • 一羽来て啼かない鳥である
  • うしろすがたのしぐれてゆくか
  • どうしようもない私が歩いている
  • 生まれた家はあとかたもないほうたる
  • 音はしぐれか
  • ゆうぜんとしてほろ酔へば雑草そよぐ
  • 酔うてこほろぎと寝ていたよ
  • 鴉啼いてわたしも一人
  • 笠にとんぼをとまらせてあるく
  • 笠も漏り出したか
  • けふもいちにち風を歩いてきた
  • この旅、果もない旅のつくつくぼうし
  • こころすなほに御飯がふいた
  • 鈴をふりふりお四国の土になるべく
  • 霧島は霧にかくれて赤とんぼ
  • また一枚脱ぎ捨てる旅から旅
  • まつすぐな道でさみしい
  • ふるさとはあの山なみの雪のかがやく
  • すべつてころんで山がひつそり
  • また見ることもない山が遠ざかる
  • 松はみな枝垂れて南無観是音
  • 分け入つても分け入つても青い山
  • 鉄鉢の中へも霰
  • 山へ空へ摩訶般若波羅密多心経
  • 水音の絶えずして御仏とあり
  • ほろほろほろびゆくわたくしの秋
  • 生死の中の雪ふりしきる
  • おちついて死ねそうな草萌ゆる
  • 濁れる水の流れつつ澄む
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如果你走路,你会走得更快,如果你赶路,你会走得更快
我尝到了堆积如山的水的滋味
它是一只独来独往的鸟,并不唱歌。
我的后脑勺在摇晃
我,无助的,正走在路上
我出生的房子是一片废墟
呜呼哀哉
我醉了,野草在沙沙作响
我喝醉了,和一只小鸟睡在一起
鸦雀无声,唯我独尊
我走在路上,一只蜻蜓栖息在我的帽子上
遮阳板开始漏水了吗?
这一天,我也在风中行走
这段旅程,这段无果的旅程,这段TSUTSU BOSHI的旅程
稻米擦拭了我脸颊上的灰尘
我将摇动铃铛,试图使四国的土壤
雾岛是一只隐藏在雾中的红蜻蜓
我将脱下另一层衣服,从一个旅程到另一个旅程
在笔直而狭窄的道路上,我很孤独
家乡是那些山峰上的雪的光辉
我滑倒了,山体滑行了
而我从未见过的山峰却在远方
所有的松树都垂下了枝条,而南无观音菩萨
四面环山
铁碗里的冰雹
向山、向天、大乘般若波罗密多心经
水的声音永远是佛。
我的秋天正在消逝
在生与死中,雪花飘飘
似乎在平静中死去的草正在发芽
浑水的流动是清澈的

通过www.DeepL.com/Translator(免费版)翻译






八月十四十五

【2023年7月 山口記①~種田山頭火と林水福先生の『行乞的詩人』ゆかりの地をめぐる】

毎日(ありがたいことに)原稿や色々な予定にもういっぱいいっぱいで、全く進んでいないあいだ一か月以上経ってしまった前回の日本滞在の記録ですが、備忘録的に進めて行きます。

7月25日、山口滞在2日目には、林水福先生の新刊『行乞的詩人』の新刊記念イベントに登壇するため、防府と大道の種田山頭火ゆかりの地をめぐり写真を撮りました。日本では全国に600か所を超える歌碑のあるほど人気の種田山頭火ですが、台湾では実は紹介されるのは今回が初めて。
そして、山口県防府市出身の種田山頭火を初めてご紹介下さった林水福先生は、川端康成や谷崎潤一郎、遠藤周作ら名だたる日本文学を台湾に翻訳/紹介されてきた台湾を代表する日本文学翻訳者/研究家のひとりでもあります。かつて林水福先生が下関の梅光学園で2年間教鞭を取られたことから、いま輔仁大学日文系で教えられている中村祥子教授につながり、中村さんが林水福先生と一緒に山口に来られたことで林先生が山頭火と出会い、今回のご出版につながったそうです。

台湾の子供たちは小さなころから漢文や唐詩などに触れて育ちます。中華文化のなかの文人というのは、文学者であると共に政治家で書家であるなど全方位的な才人であり、成功者。李白や杜甫なども政治的に負けて酒の詩なども多く詠んでいるものの、山頭火のような無頼派とか破滅型芸術家、アウトローとは基本的に異なります。なので太宰治などの小説はともかく、種田山頭火の詩が台湾で受け入れられるのってすごく難しいのではと思ってきました。
しかし今回、林先生や出版社の編集者の方のお話を聞きながら、山頭火という人生のドラマチックさや物語に惹かれる台湾の方も多いことがわかりました。

聯経出版社の書店で行われた7月13日の出版記念イベントでは、著者の林水福先生が「自由律詩とはなにか」ということについて、また、中村祥子さんが「山頭火の書について」、そして私から「山頭火と防府の水のかかわり」についてお話しました。

山頭火の母親は、放蕩する夫のため鬱病にかかり、山頭火が11歳のときに自宅の井戸に身を投げました。今回、じっさいに山口県防府市の八王子エリアにある山頭火の生家跡にいき、周りを歩きながら、母親が身を投げた井戸はどこだったか考えました。尾道には井戸のうえに建築物を建てる例も観ましたが、やっぱり立ち上る湿気などで大変になってしまいますので、建築物の外側にあるのではないかと思います。二か所あたりで見当をつけましたが、実際にどうかはわかりません。

次に防府市大道にある、山頭火と父親が経営した酒蔵跡、そしてそこの酒蔵で使われた酒桶のある公園に行きました。ある年の冬が暖冬で、酒が腐ったために、山頭火親子は経営が立ち行かなくなり破産しました。父親は行方をくらまし、山頭火は妻と子を連れて熊本へと逃げました。そして、熊本でもやっていけなくなった山頭火は、妻子を捨てて出家します。正直言って、現代日本でいうところの「だめんず」であり、台湾でいうところの「渣男(ザーナン)」です。
防府の地元では、山頭火親子に金を貸したまま還ってこなかった経験のある人など、評判は決してよくありませんでした。そんな人の詩がどうしてこれほどまでに時代や国境を超えて、わたしたちの心をとらえるのか?
拙著『台湾と山口をつなぐ旅』でも書いているのですが、個人的には、山頭火が酒と水を求めて各地をさまよったのは、結局は思春期に失った母親への思慕ゆえだったと思います。郷土防府の水に近い軟水の水を持つ各地(湯田や川棚もふくめ)温泉に浸かった山頭火は、きっと母親に抱かれているような気持ちだったのではないでしょうか。作者と作品の関係性が切っても切り離せなくなってきた現代でこそ、改めて山頭火について考えてみる価値があると思います。

種田山頭火の墓があるという防府市の護国寺にも行きました。
防府は本当に水の豊かな場所で、護国寺のあるあたりにも佐波川を水系とした豊かな水路がそこかしこに流れています。このせせらぎは『マイマイ新子と千年の魔法』で描かれたように、平安時代に父親の赴任に付いて防府に住んだことのある清少納言が聴いていた水音と同じものかもしれません。
現在の防府市中心部がそういった「歴史の積み重ねを伝えるせせらぎ」を忘れてのっぺらぼうになってしまったのは残念でなりません。歴史的にも、観光面でのPRにしても、防府の「水風景」の記憶をどうかこれからのまちづくりにも生かしてほしいなと思いました。
山頭火は、護国寺にていまは、母親の葉かと並び静かに眠っています。そして、護国寺の前をたゆたゆと流れる溝で、わたしが寺に入る前に、飽きもせず、強い日差しにもめげずなにかを捕まえようと遊んでいる男の子をみました。
護国寺から出てくると、まだそこで男の子は同じ姿勢を取っていました。彼に聞いてみました。
「なにとっちょるん?」
「ちっちゃいカニとか、魚とかおるけえ。」

山頭火親子の手放した酒蔵は別の方に買いあげられ、その親戚関係にあるのが山口の銘酒「山頭火」を作っている金光酒造。つまり、清酒「山頭火」は本当に山頭火ゆかりの酒なのです(らーめん「山頭火」が本当にゆかりがあるかどうかは知りませんが、、、)
そんな清酒「山頭火」を、林水福先生にお祝いに買って帰り差し上げました。林水福先生の山頭火の翻訳、本当に素晴らしいです。是非とも多くの台湾の方に読んでいただきたいと共に、このご縁を繋いでくださった林水福先生、そして中村祥子先生、そして版元の聯経出版社に、山頭火ファンの一人として、また山口県人のひとりとして御礼を申し上げます。


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