2021年3月13日 星期六

川端康成(1899-1972)的『浅草紅団』("小說",1929~30)幾筆瑣事:不良老人 vs 不良少年、懂得敬愛、和氣,也有進步 (谷崎潤一郎),Jean Cocteau 《埃菲爾鐵塔的新娘和新郎 Les Mariés de la Tour Eiffel》,藤田嗣治

https://www.facebook.com/hanching.chung/videos/4279127225431385

●川端康成の「浅草紅団」を歩く -1-
    初版2001年11月24日
    二版2013年7月6日  <V01L03> 暫定版

 「浅草紅団(浅草紅團)」を初めて掲載したのが2001年ですから12年前になります。高見順の「如何なる星の下に」と合せて「浅草紅団」も大幅に改版します。2001年掲載の内容を見ると、当時としてはこの程度で良かったのかもしれませんが、今見ると不十分だな~と感じます。





浅草地図 -1- (高見順の浅草地図を参照)



http://www.tokyo-kurenaidan.com/kawabata_asakusa_01.htm

不良老人 vs 不良少年、懂得敬愛、和氣,也有進步。  谷崎潤一郎

Jean Maurice Eugène Clément Cocteau (UK/ˈkɒkt/US/kɒkˈt/French: [ʒɑ̃ moʁis øʒɛn klemɑ̃ kɔkto]; 5 July 1889 – 11 October 1963) was a French poet, playwright, novelist, designer, filmmaker, visual artist and critic.

Les Mariés de la Tour Eiffel

埃菲爾鐵塔的新娘和新郎



Jean Cocteau

Cocteau in 1923



5分
https://www.youtube.com/watch?v=skMfuIG4POo












訪日時のコクトー(中央)
1936年、世界一周の旅で日本に滞在時、友人で日本帰国中の藤田嗣治と再会し、相撲観戦や歌舞伎見物など夜の歓楽街の散策を供にした。 相撲を「バランスの芸術」と呼び、六代目尾上菊五郎に会って握手したが、その際、白粉が剥げないように気を遣ったため菊五郎を感心させている[1]。この時観た鏡獅子が、後の『美女と野獣』のメイクに影響したという説もある。日本に来て最初に衝撃を受けたのは、石けりをしている少女が地面にチョークで描いた円で、子供がこれほど正確で幾何学的な線を描く国は他にはない、と驚きを述べている[2]。(その時、藤田の案内で帝国美術学校(現武蔵野美術大学)の学生絵画グループ「表現」が銀座の紀伊国屋画廊で開催していた展覧会を訪れ、ジャン・コクトーが大塚耕二の作品を称賛した。)


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ひねもすくもり、日中も冷ややかなり
金木犀の香りかんばし
兄弟子猫に会ふ。いつもとは全然違ふ場所から出て来た。思ひがけぬ所で知り合ひに会ふのは嬉しいものなり。ベンチに座ると、一匹は膝の上に、もう一匹は靴の上に乗る。食欲も旺盛。ひもじくなると移動するのだらう


川端康成「浅草紅団アサクサクレナヰダン」読了。佳作。1930年の浅草の不良少年少女を描く。他の川端作品とは異なって、イキイキとした文体
浅草駅にぼんやり坐ってゐると、親切らしい爺さんが、梅吉を連れて帰った。爺さんは名高い猫取りだった。間もなく警察にあげられた。そこで梅吉は、同じ猫取り仲間に引き取られた。彼はこの猫取りの見習ひとして、街をうろついた。猫を見つけると、紐でしばった雀を投げ出す。雀が羽ばたきする。猫が飛びつく。紐をぢりぢり引きしぼる。猫がおびき寄せられる。そこをつかまへる早業が、呼吸だ。捕へた猫は、直ぐたたき殺す。公園の暗がりか、河岸の物蔭で、生皮を剥ぐ。その皮は着物の下にかくして、腰に巻きつけておく。三味線屋へ高く売れる。


閱讀Yasunari Kawabata的《淺草的猩紅幫Asakusa Krena Edan》。榮譽獎。 1930年在淺草畫了一個壞男孩和女孩。與川端其他作品不同,它具有活潑的風格
當我在淺草車站隱約地坐著時,一個好心的老人把梅吉送回家了。老人是著名的獵貓人。它很快被交給了警察。在那裡,梅吉(Umekichi)被同一個挑貓的同伴接管。他在這座城市徘徊,作為這個捕貓器的徒弟。當他發現一隻貓時,他扔出了一隻用繩子捆起來的麻雀。麻雀拍打著翅膀。貓跳。擠壓琴弦。貓被吸引了。呼吸是趕上呼吸的快速工作。被捕獲的貓立即被打死。在公園的黑暗中或在河岸的陰影下剝去生皮。將皮膚藏在和服下,並束在腰間。它對三味線商店賣得很好。

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