二版2013年7月6日 <V01L03> 暫定版
「浅草紅団(浅草紅團)」を初めて掲載したのが2001年ですから12年前になります。高見順の「如何なる星の下に」と合せて「浅草紅団」も大幅に改版します。2001年掲載の内容を見ると、当時としてはこの程度で良かったのかもしれませんが、今見ると不十分だな~と感じます。
浅草地図 -1- (高見順の浅草地図を参照)
http://www.tokyo-kurenaidan.com/kawabata_asakusa_01.htm
不良老人 vs 不良少年、懂得敬愛、和氣,也有進步。 谷崎潤一郎
Jean Maurice Eugène Clément Cocteau (UK: /ˈkɒktoʊ/, US: /kɒkˈtoʊ/, French: [ʒɑ̃ moʁis øʒɛn klemɑ̃ kɔkto]; 5 July 1889 – 11 October 1963) was a French poet, playwright, novelist, designer, filmmaker, visual artist and critic.
- 『エッフェル塔の花嫁花婿』 Les Mariés de la Tour Eiffel, 1921年
Les Mariés de la Tour Eiffel
埃菲爾鐵塔的新娘和新郎
- 1921: Les mariés de la tour Eiffel, ballet (music by Georges Auric, Arthur Honegger, Darius Milhaud, Francis Poulenc and Germaine Tailleferre)
Jean Cocteau
Cocteau in 1923
5分
https://www.youtube.com/watch?v=skMfuIG4POo
訪日時のコクトー(中央)
1936年、世界一周の旅で日本に滞在時、友人で日本帰国中の藤田嗣治と再会し、相撲観戦や歌舞伎見物など夜の歓楽街の散策を供にした。 相撲を「バランスの芸術」と呼び、六代目尾上菊五郎に会って握手したが、その際、白粉が剥げないように気を遣ったため菊五郎を感心させている[1]。この時観た鏡獅子が、後の『美女と野獣』のメイクに影響したという説もある。日本に来て最初に衝撃を受けたのは、石けりをしている少女が地面にチョークで描いた円で、子供がこれほど正確で幾何学的な線を描く国は他にはない、と驚きを述べている[2]。(その時、藤田の案内で帝国美術学校(現武蔵野美術大学)の学生絵画グループ「表現」が銀座の紀伊国屋画廊で開催していた展覧会を訪れ、ジャン・コクトーが大塚耕二の作品を称賛した。)
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ひねもすくもり、日中も冷ややかなり
金木犀の香りかんばし
兄弟子猫に会ふ。いつもとは全然違ふ場所から出て来た。思ひがけぬ所で知り合ひに会ふのは嬉しいものなり。ベンチに座ると、一匹は膝の上に、もう一匹は靴の上に乗る。食欲も旺盛。ひもじくなると移動するのだらう
川端康成「浅草紅団アサクサクレナヰダン」読了。佳作。1930年の浅草の不良少年少女を描く。他の川端作品とは異なって、イキイキとした文体
浅草駅にぼんやり坐ってゐると、親切らしい爺さんが、梅吉を連れて帰った。爺さんは名高い猫取りだった。間もなく警察にあげられた。そこで梅吉は、同じ猫取り仲間に引き取られた。彼はこの猫取りの見習ひとして、街をうろついた。猫を見つけると、紐でしばった雀を投げ出す。雀が羽ばたきする。猫が飛びつく。紐をぢりぢり引きしぼる。猫がおびき寄せられる。そこをつかまへる早業が、呼吸だ。捕へた猫は、直ぐたたき殺す。公園の暗がりか、河岸の物蔭で、生皮を剥ぐ。その皮は着物の下にかくして、腰に巻きつけておく。三味線屋へ高く売れる。
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