- 浅草紅団(1929年12月-1930年2月)日文
淺草紅團--川端康成-趙慧瑾譯,星光出版,1985
文庫版『浅草紅団』(中公文庫、1981年12月10日)
- 解説:磯田光一
- 収録作品:「浅草紅団」「浅草祭」「『浅草紅団』続稿予告」「新版浅草案内記」
翻訳版は2005年にAlisa Freedman訳(英題:The Scarlet Gang of Asakusa)によりアメリカで行われており、2013年にMeiko Shimon訳(葡題:A Gangue Escarlate de Asakusa)によりブラジルで行われている。
http://hurec.bz/mt/archives/2010/08/1372_199612_193012.html
淺草紅團(川端康成 著、吉田謙吉 装幀、太田三郎 挿絵)- 特選名著複刻全集 | bookstore ナルダ powered by BASE
¥2,000 JPY*
1929年(昭和4年)に、川端康成が朝日新聞で連載した長篇小説。本書は、先進社から1930年に刊行された単行本の復刻版。発行当時のモダンな装本を、できる限り忠実に再現しています。昭和初期の浅草は大衆芸能の中心地で、美しくも恐ろしい魔の街でした。「紅団」というのは、浅草に出没する不良少年・少女のグルー...
川端康成(1899-1972)の浅草への愛着は相当なもので、カジノ・フォーリーから当時15、6歳だった踊子・梅園竜子を引き抜き、バレリーナに育てようとしたこともあったそうです(梅園龍子はバレイ団に所属した後、映画女優となる)。それが「浅草紅団」連載から1、2年後の1931(昭和6)年、川端康成32歳ころのことです。
梅園竜子
30歳ごろにこの小説を書き始めたことになりますが、言い回し(文体)が、文芸作品というより風俗小説のそれに近い躍動感があるのが興味深く、また、そうした飛び跳ねたようなトーンの中においても、浅草というカオスに満ちた街に対して、自らをあくまでもエトランゼ(異邦人)として冷静に位置づけているように思えます。弓子という男勝りの、それでいて男性に複雑な感情を抱く少女に対しても(ここにも作家の文学上の少女嗜好が窺えるが)、相手も"私"のことを悪く思っているわけではないのに一定の距離を置いていて、弓子自体がやがて多くの登場人物の中に埋没していくようです。
後半に行くに連れて、人物よりも街を描くことが主になってきて(途中からルポルタージュへと変質している)、小説としてはどうかなと思う部分も多いですが、その分、当時の浅草の観光ガイドとしては楽しめます。この辺りは、直接取材だけでなく文献研究により書かれた部分も多いようです(今のアサヒビール本社付近に昔はサッポロビール本社があった。両社が国策により合併した時期があったため)。在下半場時,我主要畫的是城市而不是人物(它從中間變成了報告文學),我認為其中很多部分都是小說,但是到那時,你可以享受它作為淺草的旅遊指南。似乎不僅通過直接採訪而且還通過文獻研究來撰寫該領域的許多內容(在目前的旭啤酒廠總部附近有一個札幌啤酒廠總部,因為有一段時間兩家公司由於國家政策而合併) 。從關東大地震到昭和時代的衰落,淺草感到了令人遺憾的感覺,但是當作者起草此作品很長時間以來第一次去淺草時,它非常活躍,“多虧了老師的小說,我聽過一個情節,其中有一位評論舞蹈家說:“這座城市已經恢復了生命。”(淺草自1958年《禁止賣淫法》實施以來一直在如火如荼地進行著)。
関東大震災から昭和恐慌にかけての衰退に向かう浅草に対する惜別の想いが感じられますが、この作品を脱稿して作家が久しぶりに浅草に出向いてみると、結構な賑わいぶりで、「先生の小説のお陰で街に活気が戻った」とレビューの踊子に言われたというエピソードを聞いたことがあります(浅草が本格的に衰退に向かうのは、昭和33年の売春防止法の施行以降)。
講談社文芸文庫版には、本作の6年後に書かれた続編「浅草祭」が収められていますが、「浅草祭」の冒頭で、続編の予告に際して前作「浅草紅団」に触れ、「どんな文体であったかも、よく覚えていない。その一種勢いづいた気取りを六年後に真似ることは、嘔吐を催すほど厭であろうし、果たして可能かも疑わしい」と書いたことを引用しており、実際「浅草祭」の方は、風俗小説風の軽妙な文体は鳴りを潜め、弓子がどこかへ消えていなくなくなっている(大島の油売りになった)こともあってか、落ち着いた、祭りの後のような寂しいトーンになっています。
「浅草紅団」の前半ぐらいまでは、作家は「物語」を書こうとしていたのではないでしょうか。それが次第と、風俗を描くことがメインになり、断片的なスケッチの繋ぎ合わせのような作品になってしまった―なぜ、物語として完成し得なかったかについても「浅草祭」で書いてはいますが、最後まで「物語」として貫き通していたらどんな作品になっていただろうかとの想像を、禁じざるを得ません。
因みに「浅草紅団」は、1952年に久松静児監督、京マチ子主演で映画化されていて、個人的には未見でが、脚本の成沢昌茂が原作をかなり脚色したもののようです。
映画化[編集]
おもな舞台化[編集]
- シアターアプル・プロデュース『浅草紅団』
川端康成的作品是永生的。他的作品被改編成電影的有十多部。《伊豆的舞女》在他生前共拍了五次電影。一部作品能多次重拍,說明作品的魅力與影像是很大的。《淺草的姐妹》被改編拍成電影《少女時代的三姐妹》。原作《謝謝》改編拍成電影《謝謝先生》。《少女開眼》拍成電影。《淺草紅團》由成澤昌茂改編拍成電影。《淺草故事》由島耕二導演兼政編拍成電影。《河邊小鎮的故事》由衣笠貞之助導演兼改編拍成電影。《彩虹幾度》由八住利雄改編拍成電影。《雪國》由八住利雄改編拍成電影。《生為女人》由田中澄江改編拍成電影。《風中的路》由矢代靜一改編拍成電影。《古都》。《玉響》改編成同名的電視連續劇。《睡美人》由新藤兼人改編,拍成電影。《日兮月兮》由廣瀨襄改編拍成電影。
原文網址:https://kknews.cc/culture/qlk5698.html
演劇公演告知『川端の女たち-Femmes de Kawabata』2021年4月7, 8, 9日 - 日仏女性劇団セラフ
浅草紅団 030~050
『浅草紅團 ASAKUSA RED GANG』メイキング
https://www.youtube.com/watch?v=U-Bmv3mttoo
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