2023年3月9日 星期四

幾本【歷史上的今天】:獻給Ben Chen 和 劉仲庸: 《一日一言 人類の知恵 》(桑原 武夫 ) (1956) 12月1日~4日英-日-中 轉譯的問題例 herbert read /An Apology for Idlers (1877) in Virginibus Puerisque, and Other Papers (1881)、A Musical Book of Days《永恆的日記──每一天的音樂》12月3~4日。Music Pad 音樂記事本





2018 Music Pad 音樂記事本+貝多芬馬克杯 ; 《永恆的日記──每一天的音樂》《一日一言 人類の知恵 》(桑原 武夫 ) ; CS Note/
2017 Music Pad 吳家恆, 台北:川雷文化。謝謝家恆贈書。
2018年的 Music Pad


https://www.facebook.com/hanching.chung/videos/3999956026681841


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《一日一言 人類の知恵 》(桑原 武夫 ) (1956)
2017.4.16 陳健邦先生的贈書 (1994年,58刷)。

我說這本以前找人翻譯過,當時準備出書;陳兄說,這類書,應該自己寫。

為了報答陳兄的好意,我考慮弄個blog,每天一篇 (很多次都有這想法,常常自己打退堂鼓。因為本書的副標題"人類の知恵 ",很值得思考其取材.....)





一日一言 人類の知恵 岩波新書 1956




“Quiet minds cannot be perplexed or frightened but go on in fortune or misfortune at their own private pace, like a clock during a thunderstorm. ” 
―from DR. JEKYLL AND MR. HYDE (1886) by Robert Louis Stevenson



Robert Louis Stevenson - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Louis_Stevenson
 
Robert Louis Balfour Stevenson (13 November 1850 – 3 December 1894) was a Scottish novelist, poet, essayist, and travel writer. His most famous works are Treasure Island, Kidnapped, Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde, and A Child's Garden of Verses. Stevenson was a literary celebrity during his lifetime, and now ranks as the 26th most translated author in the world. His works have been admired by many other writers, including Jorge Luis Borges, Bertolt Brecht, Marcel ...

Dec.1~4: 《一日一言》:



12月1日


植村 正九

(安政4.12.1—大正14.1.8∕西元1858.1.15—1925.1.8)

日本明治大正時期的思想家、神學家與牧師。日本基督教的重要傳道者。曾於《六合雜誌》與《福音新報》上引爆多場筆戰,在當時的知識界掀起不小的波瀾。著書彙成《植村正九著作集》。

  切勿以為藉此信函即可徹底改變吾,此乃欲變而未能變者也。僅因不欲使台端空歡喜,而致上一言也。吾本無德,倘奢想示人有德,則當羞愧者也。況夫妻二人於心於行,均應如實展現,此乃緊要之事也。牧師也者,易流於偽善者也。倘有惡,當使人知其惡;倘不完美,當使人知其不完美,而善惡亦當使世人知其真實價值。吾向來堅守如此信念而處世者也。至於虛假矯情,令人厭惡莫此為甚。即令自身或他人有此虛假矯情,吾亦厭之,甚感不堪而欲吐者也。

節自《由美國致夫人之信函》



12月2日


韓 愈(韓 退之)

(代宗大曆3—穆宗長慶4.12.2∕西元768—824)

中國唐代的文學家。為唐宋八大家之首。力斥駢文,提倡古文,尊崇儒家。官拜刑部侍郎,因諫阻唐憲宗迎佛骨而被貶為刺史;待穆宗即位後才又奉旨回朝。代表作為〈師說〉與〈祭十二郎文〉等。



  古之學者必有師。師者,所以傳道、受業、解惑也。人非生而知之者,孰能無惑?惑而不從師,其為惑也,終不解矣。……是故無貴,無賤,無長,無少,道之所存,師之所存也。……巫、醫、樂師,百工之人,不恥相師;士大夫之族,曰師、曰弟子云者,則群聚而笑之。問之,則曰:「彼與彼年相若也,道相似也。」位卑則足羞,官盛則近諛。嗚呼!師道之不復可知矣。巫、醫、樂師、百工之人,君子不齒,今其智乃反不能及,其可怪也歟!

節自〈師說〉

《一日一言 人類の知恵 》(桑原 武夫 ) (1956) 

12月3日
史蒂文森(Robert Louis Stevenson)

(西元1850.11.13—1894.12.3)

蘇格蘭小說家、詩人與旅遊作家。新浪漫主義的代表人物之一,作品常被歸類成兒童文學與恐怖小說。健康不佳,但經常旅遊,晚年定居於薩摩亞群島。知名作品為《金銀島》、《綁架》與《化身博士》等。



  極度的忙碌是缺乏生氣的徵候,而怠惰的能力意味著極大的嗜好欲與強烈的個性意識。假如人們在社會上必須從事某種沿襲慣例的工作,就無法意識到自己真正活著,形同與那些雖生猶死、觀念過時的人為伍。倘若把這樣的人從鄉下帶出來,讓他們搭乘汽船,想必他們心裡仍只念著家裡的桌子和書房吧。……他們並未感覺到,自己所擁有的各種能力是為自己而發揮的喜悅。如果沒有採取「必要」的手段,對他們使勁地鞭打催促,恐怕他們將會永遠待在原地靜止不動吧。

節自《維琴伯斯‧普魯斯克集》〈寫給懶惰人〉
Extreme _busyness_, whether at school or college, kirk or market, is a symptom of deficient vitality; and a faculty for idleness implies a catholic appetite and a strong sense of personal identity.  There is a sort of dead-alive, hackneyed people about, who are scarcely conscious of
living except in the exercise of some conventional occupation.  Bring these fellows into the country, or set them aboard ship, and you will see how they pine for their desk or their study.  They have no curiosity; they cannot give themselves over to random provocations; they do not take pleasure in the exercise of their faculties for its own sake; and unless Necessity lays about them with a stick, they will even stand still. 
 It is no good speaking to such folk: they _cannot_ be idle, their nature is
not generous enough; and they pass those hours in a sort of coma, which
are not dedicated to furious moiling in the gold-mill. 




  • Virginibus Puerisque, and Other Papers (1881), contains the essays Virginibus Puerisque i (1876); Virginibus Puerisque ii (1881); Virginibus Puerisque iii: On Falling in Love (1877); Virginibus Puerisque iv: The Truth of Intercourse (1879); Crabbed Age and Youth (1878); An Apology for Idlers (1877); Ordered South (1874); Aes Triplex (1878); El Dorado (1878); The English Admirals (1878); Some Portraits by Raeburn (previously unpublished); Child's Play (1878); Walking Tours (1876); Pan's Pipes (1878); A Plea for Gas Lamps (1878).


12月4日


里德爵士(Sir Herbert Edward Read)

(西元1893.12.4—1968.6.12)

英國詩人、文學與藝術評論家。在詩歌領域,主要研究浪漫主義派的詩人;在藝術方面,將超現實主義派的畫作推上國際舞台。於1953年被授與爵士稱號。著作有《藝術與社會》與《今日之藝術》等。



  所謂的文化,不能從上而下強迫施行──而應該是由下而上開花結果才對。文化從土壤、從人民們、以及人民的日常生活與勞動之中,得到了生育的養分。那是對人們生活的歡喜、對勞動的歡喜所自然產生的表現。假如沒有這樣的歡喜,文化就不可能存在了吧。

節自《討厭政治的政治論》

The Politics of the Unpolitical (Routledge Revivals) - 1st Edition
Routledge
https://www.routledge.com › Read › book



In this collection of fourteen essays, first published in 1943, Herbert Read extends and amplifies the point of view expressed in his successful pamphlet To ...

  為了要持續生命、確保進步,創造尖銳鮮明的關心,必須打破舊有的形式、移去鑄模,從本質上改變我們的文明才行。

節自《詩與無政府主義》

Read embraced anarchism, but at the same time, he situated himself on the side of a conservative and nostalgic view of society that is rooted in his biography, his personality as a poet and a critic.






Joseph Conrad - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Conrad

Joseph Conrad was a Polish-British writer regarded as one of the greatest novelists to write in the English language. He joined the British merchant marine in 1878, and was granted British citizenship in 1886. Though he did not speak English fluently until his twenties, he was a master prose stylist who brought a non-English sensibility into English literature. He wrote stories and novels, many with a nautical setting, that depict trials of the human spirit in the midst of an impassive, ...

ジョゼフ・コンラッド - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョゼフ・コンラッド

ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad, 1857年12月3日 - 1924年8月3日)は、イギリスの小説家。ジョウゼフ・コンラッドとも表記される。海洋文学で知られ、作品には『闇の奥』、『ロード・ジム』、『ナーシサス号の黒人』、『文化果つるところ』、『密偵』などがある。 目次. [非表示]. 1 生涯; 2 主な著作. 2.1 長篇小説(一部); 2.2 短篇小説; 2.3 エッセイ. 3 参考文献; 4 映像化作品; 5 脚注; 6 外部リンク. 生涯[編集]. 本名テオドル・ユゼフ・コンラト・コジェニョフスキ(Teodor Józef Konrad Korzeniowski)としてベルディチュフ(当時 ...
"Hunters for gold or pursuers of fame, they all had gone out on that stream, bearing the sword, and often the torch, messengers of the might within the land, bearers of a spark from the sacred fire. What greatness had not floated on the ebb of that river into the mystery of an unknown earth! . . . The dreams of men, the seed of commonwealths, the germs of empires."
--from HEART OF DARKNESS (1902) by Joseph Conrad


植村正久1857~1925

植村正久 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/植村正久

植村 正久(うえむら まさひさ、1858年1月15日(安政4年12月1日) - 1925年1月8日)は、日本の思想家・キリスト教の伝道者・牧師・神学者・説教家。号は「謙堂」あるいは「桔梗生」など。日本のキリスト教教会の形成に大きな役割を果たした植村は田村直臣、松村介石、内村鑑三と共にキリスト教界の四村と呼ばれた。日本基督教会、日本のプロテスタントの指導者であり、後の日本のプロテスタントにも大きな影響を与え、全日本キリスト教会のプロテスタント教皇といわれた。

韓退之 768~824

https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Louis_Stevenson

https://en.wikipedia.org/wiki/Herbert_Read





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人類の歴史は、偉大な行為をなしとげた人びとの英知にかがやく言葉によって飾られている。そうした「人類の知恵」ともいうべき名言を、偉人の生没日にあわせ、1年366日に配列し、略伝、肖像を付した。新しい形の人生読本であり、人類の歴史を見わたす多彩なパノラマでもある。あなたの生活を深く豊かにする座右の書。




《366個歷史上的今天》

吳季倫 譯


〈前言〉


人類最值得受到尊崇的是其正確的行為。不過,人類擁有語言工具,因而得以透過這種工具,將自己的行為與他人的行為連結起來,不僅得以從中出現互助合作的可能性,更能藉由這種工具,思索與反省自己應當著手與已經採取的行為。人類的任何行為,都是以語言做為後盾的。也唯獨具有語言的人類,才能擁有歷史;而這些歷史,更是由人類文化的各種領域中的佼佼者所留下的珠璣話語,來妝點其最重要的精華片段。這些詞語,原本就是存在於歷史與社會條件的規範之下,況且蘊含於其中的智慧,更早已超越了那些規範,給予後人正向的刺激,不僅可以強壯其思想,亦成為完善其新行為的泉源,並且永不止息。而這正是人類的智慧結晶。身為人類的一員,若想活出輝煌的人生,端看如何從這股古老的泉水中,汲取出簇新的智慧。

回顧鄙人長年來的耽讀生涯,曾經深深打動心扉的幾十句前人佳言,就在不知不覺中積儲在我的腦海裡。我深刻地感覺到,這些話語就在我的記憶深處,支持著我的生活。假如沒有這樣的支持,想必我的精神生活將會變得更為貧瘠。此次,承蒙岩波新書編輯部希望我能以嶄新的形式,彙編一部人類史上諸位名家的語錄,作為該系列的其中一冊,我毫不考慮地立刻允諾,並深信這本書必將對大家有所助益。


關於本書的編輯構思,我們不希望只是將想到的經典佳言,毫無章法地彙蒐在一起,而是希望能在一年中的三百六十六個日子裡,收錄與每一天有關的某位人物的言詞,並且配搭其略傳與肖像,使諸位讀者能夠以每日一則的方式,細細咀嚼箇中滋味。此外,美術作品也屬於人類的偉大資產,所以在部分日期是以美術作品替代了名人佳言。

關於歷史人物的生歿日期,隨著不同的曆法而有不同的計算方式,非常難以確定。假如要求必須嚴密確認,光是這件工程,就足以成為一項獨立研究的學門了。由於本書並非歷史學的專書,所以多半採用一般的通說。此外,如果有多種說法時,會視內容的搭配性擇選其一。以治學來說,稍嫌不夠嚴謹,關於這點尚祈見諒。

為了遵守每日僅選一人的原則,我們經常面臨不得不割愛的遺憾。當然,本書中的歷史人物與事件,並不是以其偉大的程度,依序挑出三百六十六項;何況,根本就不可能依照所謂的偉大程度排列順序。例如,我們在某一日選取了坂口安吾而不是黑格爾,決不是意味著德國的哲學家不如日本的小說家。關於所有的挑選標準,多半取決於我個人的喜好,亦未因此而刻意排除。我希望這類書籍往後能夠多出版一些,並且每位編者都依照個人的喜好加以挑選彙集。

由於篇幅有限,不得不摘錄與刪改部分內容。至於出處,已盡量標明;若是非常精闢的言論,儘管出處不明,仍會收納進來。

本書編輯作業浩大,非我一人之力能夠完成,在此特別感謝參與本書的諸位的鼎力協助。


一九五六年秋

桑原武夫





桑原 武夫(くわばら たけお、1904年5月10日 - 1988年4月10日)は、日本フランス文学・文化の研究者。文化勲章受章。研究者を組織しての共同研究の先駆的指導者でもあった。



目次[非表示]
1 来歴・人物
2 著作
2.1 単著
2.2 共著・伝記
2.3 編著・共編著
2.4 翻訳
3 関連項目
4 その他
5 外部リンク

来歴・人物 [編集]福井県敦賀郡敦賀町蓬莱(のち敦賀市)の出身。父は、京都帝国大学教授東洋史専攻の、桑原隲蔵(じつぞう)。敦賀は里帰り出産の地なので実質的には京都生まれだが、本人が敦賀に愛着を持ちこの経歴を称し続けた。
京都一中三高を経て、1928年、京都帝国大学文学部卒業旧制大阪高校教授兼京都大学文学部講師を経て1943年東北帝国大学法文学部助教授1948年京都大学人文科学研究所教授、1959年同所長、68年定年退官、名誉教授
スタンダールアランの研究により、フランスの文学や評論を広く日本に紹介した。父桑原隲蔵の関係もあり、早くから西田幾多郎内藤湖南ら戦前の京都学派の碩学の謦咳に直接接することが多く、戦後、同年代の吉川幸次郎貝塚茂樹などの戦後の京都学派の中心的存在として、戦後のさまざまな文化的ムーブメントに主導的な役割を担った。
フランス文学にとどまらず、多方面に亘る深い学識と行動力は各方面に及び、俳句を論じた「第二芸術」(『世界』1946年)は論議を呼んだ。 また、学際的な、さまざまの分野の研究者を組織することにより、先駆的な共同研究システムを推進したことでも知られる。『フランス百科全書の研究』『ルソー研究』(1951年、毎日出版文化賞)、『宮本武蔵と日本人』など、日本の人文科学分野の研究において、数々の業績を残した。これらの共同研究を通じて、梅棹忠夫梅原猛上山春平鶴見俊輔多田道太郎ら多くの文化人の育ての親となった。しかし、『百科全書』派研究などはフランスの学者からは評価されず、国内でも、広く浅くの桑原をディレッタント(英、伊:dilettante、好事家。学者や専門家よりも気楽に素人として興味を持つ者)視する学者もあった。有名な「第二芸術論」も、アイヴァー・リチャーズ『実践批評』で用いられた手法をそのまま転用していると外山滋比古に指摘されている。 このことを指していったのではないだろうが、小松左京との対談で「ある人が、あなたのやったことはみな思いつきに過ぎない」と批判したところ桑原は「思いつきかも知れないが、おまえ思いつきいうてみい」と切り返したと回想している。
一方、岩波書店中央公論社等の出版社との連携も強く、戦後の出版ブームでは、『文学入門』、『日本の名著』など、今に残る新書のベストセラーを数多く出版した。生前に朝日新聞社と岩波書店からそれぞれ全集が発刊されている。
また、同期である今西錦司らとともに登山家としても知られ、1958年には、京都大学山岳会の隊長として、パキスタンチョゴリザへの登頂を成功に導いた。登山に関する著書も多い。
1984年から世界平和アピール七人委員会の委員も務めた。1966年、フランス共和国国家勲功騎士章受章。1974年、叙勲二等瑞宝章。1975年、朝日文化賞受賞。1977年、日本芸術院会員。1979年、文化功労者顕彰。1987年、文化勲章受章。1988年、叙従三位、叙勲一等瑞宝章
1998年より桑原武夫学芸賞が設けられている。

著作 [編集]
単著 [編集]
事実と創作 創元社 1943 のち講談社学術文庫
囘想の山山 七丈書院 1944
ざくろの花 生活社 1946
フランス印象記 弘文堂書房 1947 のち講談社学術文庫
現代日本文化の反省 白日書院 1947
現代フランス文学の諸相 筑摩書房 1949
人間粗描 中央公論社 1950 のち筑摩叢書
文学入門 岩波新書 1950
宛名のない手紙 弘文堂 1951
歴史と文学 新潮社 1951
近代文学入門 三笠書房 1952
第二芸術論 河出書房 1952 のち講談社学術文庫
文化への発言 創文社 1953
登山の文化史 創元社 1953 のち平凡社ライブラリー
世界文学入門 新評論社 1954
雲の中を歩んではならない 文藝春秋新社 1955
ソ連・中国の印象 人文書院 1955
フランス的ということ 桑原武夫文芸評論集 岩波書店 1957
この人々 文藝春秋新社 1958
チヨゴリザ登頂 文藝春秋新社 1959
研究者と実践者 中央公論社 1960
時のながれ 河出書房新社 1961
日本文化の考え方 評論とおしゃべり 白水社 1963
発展しつつある国々 インド・ネパール・アフリカ紀行 河出書房新社 1963
『宮本武蔵』と日本人 講談社現代新書 1964
詩人の手紙 三好達治の友情 筑摩書房 1965、増補新版 1982
フランス文学論 筑摩書房 1967
桑原武夫紀行文集 第1-3 河出書房 1968
『桑原武夫全集』全7巻 朝日新聞社 1968-69
思い出すこと忘れえぬ人 文藝春秋 1971 のち講談社文芸文庫
伝統と近代 文藝春秋〈人と思想〉 1972-代表作選集
論語 中国詩文選 筑摩書房 1974、新版1982、ちくま文庫 1985
ヨーロッパ文明と日本 朝日選書 1974
文明感想集 筑摩書房 1975
フランス学序説 講談社学術文庫 1976
文学序説 岩波全書 1977 のち新版
わたしの読書遍歴 潮出版社 1978 のち新版
文章作法 潮出版社 1980 のち新版
『桑原武夫集』全10巻 岩波書店 1980-1981
『桑原武夫集』富士正晴編 現代の随想21 弥生書房 1982
昔の人今の状況 岩波書店 1983 エセー集
日本文化の活性化 エセー・一九八三年-八八年 岩波書店 1988、遺著
共著・伝記 [編集]
文学と女の生き方 生島遼一共著 中央公論社 1952
唐詩選続篇 吉川幸次郎共著 岩波新書 1954
日本の眼 外国の眼 桑原武夫対話集 中央公論社 1972
人間史観 桑原武夫対談集 潮出版社 1983
日本語考 桑原武夫対談集 潮出版社 1984
梅棹忠夫司馬遼太郎編 「桑原武夫伝習録」 潮出版社、1981
杉本秀太郎編 「桑原武夫 その文学と未来構想」 淡交社1996
編著・共編著 [編集]
科学読本 野田又夫共編 白水社 1943
ルソー研究 岩波書店 1951
18世紀フランス 河出書房 1952
フランス百科全書の研究 岩波書店 1954
フランス革命の指導者 創元社 1956
一日一言 人類の知恵 岩波新書 1956
岩波小辞典西洋文学 岩波書店 1956
フランス革命の研究 岩波書店 1959
世界の歴史 フランス革命とナポレオン 中央公論社 1961、中公文庫1975
日本の名著 近代の思想 中公新書 1962
ルソー 岩波新書 1962  
ブルジョワ革命の比較研究 筑摩書房 1964
現代の対話 末川博湯川秀樹梅原猛 雄渾社 1966
中江兆民の研究 岩波書店 1966
文学理論の研究 岩波書店 1967
世界の歴史24 戦後の世界 河出書房新社 1974、のち河出文庫
フランス革命の指導者 朝日選書 1978
中国とつきあう法 加藤周一ほか 潮出版社 1978
吉川幸次郎 筑摩書房 1982 追悼文集
明治維新と近代化 現代日本を産みだしたもの 小学館〈創造選書〉 1984
湯川秀樹 日本放送出版協会 1984
スタンダール研究 鈴木昭一郎共編 白水社 1986
翻訳 [編集]
赤と黒 スタンダール 生島遼一共訳 岩波文庫 1933 新版2007
散文論 アラン 作品社 1933、
カストロの尼 スタンダール 岩波文庫 1936 新版 1956
匣と亡霊 スタンダール 生島共訳 竹村書房 1937 のち岩波文庫
芸術論集 アラン 岩波書店 1941、改訳新版1978
デカルト アラン 野田又夫共訳 筑摩書房 1944、新版みすず書房
ヴァニナ・ヴァニニ スタンダール 生島共訳 世界文学社 1947 のち岩波文庫
媚薬 スタンダール 生島共訳 世界文学社 1949 のち岩波文庫
社会契約論 ルソー 前川貞次郎共訳 岩波文庫 1954
文学の思い上り ロジェ・カイヨワ 塚崎幹夫共訳 中央公論社 1959
ヴァレリー全集8.10.11 筑摩書房 1967  訳者の一員
スタンダール全集 生島遼一共編 人文書院 1968-69
告白 ルソー 岩波文庫全3巻 1965ー66  多田道太郎等共訳
ふくろう党 バルザック全集1 共訳 東京創元社 
三酔人経綸問答 中江兆民 島田虔次共訳・校注 岩波文庫 1965
新井白石日本の名著 責任編集 中央公論社 1969 のち中公文庫、中公クラシックス
百科全書―序論および代表項目 ディドロダランベール編 訳編 岩波文庫 1971
フランス革命史 ジュール・ミシュレ、新版:中公文庫上下 (多田道太郎等との抄訳)
関連項目
桑原武夫学芸賞(桑原を記念した学術賞)
京都学派
古都 (小説)


2017年11月24日下午1:36 ·


18日所引的詩,出自 Le Phénix by Paul Éluard, 1951
阿邦送的這本書,編者是法國文學學者。











《一日一言 人類の知恵 》(桑原 武夫 ) (1956)

2017.4.16 陳健邦先生的贈書 (1994年,58刷)。

我說這本以前找人翻譯過,當時準備出書;陳兄說,這類書,應該自己寫。

為了報答陳兄的好意,我考慮弄個blog,每天一篇 (很多次都有這想法,常常自己打退堂鼓。因為本書的副標題"人類の知恵 ",很值得思考其取材.....)

一日一言 人類の知恵 岩波新書 1956

人類の歴史は、偉大な行為をなしとげた人びとの英知にかがやく言葉によって飾られている。そうした「人類の知恵」ともいうべき名言を、偉人の生没日にあわせ、1年366日に配列し、略伝、肖像を付した。新しい形の人生読本であり、人類の歴史を見わたす多彩なパノラマでもある。あなたの生活を深く豊かにする座右の書。

桑原 武夫(くわばら たけお、1904年5月10日 - 1988年4月10日)は、日本のフランス文学・文化の研究者。文化勲章受章。研究者を組織しての共同研究の先駆的指導者でもあった。













《一日一言 人類の知恵 》(桑原 武夫 ) ; 梅棹忠夫和 山本紀夫合編《山的世界》梅棹忠夫の発想、 CS Note/《永恆的日記──每一天的音樂》

將一些 Sophie's World: A Novel about the History of Philosophy 中的大哲學之言弄成每月的主題 ---- A Musical Book of Days《永恆的日記──每一天的音樂》 好書 有趣.... *** ...

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剛剛 季倫來拿稿費(她在野人出版社上班 所以領雙薪....)
她翻譯的是桑原武夫教授1954年為岩波文庫編的『一日一言--人類的智慧』(文庫版一頁2日(各有一人像或作品) 共366天 有些日是以美術作品充替...)
我2003年買它 覺得很不錯
其實 現在每人在一生中都該編這樣的一本自己的金言玉語
(我會編的)

『一日一言』的特色是有日本文話的觀點 他選的日本人我們多半很陌生
我至今只請兩人翻譯 彭淮棟先生是東海老友 名譯家 我與世堂等人都希望有機會給他機會
季倫是剛入門 她還沒有抓到翻譯者是為他人服務的
也沒抓到原編者的精神 (譬如說 張某 (1948-2001) 季倫去Wikipedia 等找到很詳細的生亡年月 考古 人名以其母語書寫真多少人懂希臘文 俄文......原編者致謝細節沒翻譯.......)
再怎麼說 她運氣好 有機會學習

我如果出版『一日一言』 是為紀念劉仲庸先生的



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A Musical Book of Days《永恆的日記──每一天的音樂》
好書 有趣....
有不少小毛病,以11月13日為例,

Frederick Septimus Kelly DSC (29 May 1881 – 13 November 1916) was an Australian and British musician and composer and a rower who competed in the 1908 Summer Olympics. He was killed in action during the First World War.[1]
https://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_Septimus_Kelly
該書人名寫成Septimus Kelly,好像沒根據。

https://www.youtube.com/watch?v=XKeCkfRf9HM



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2018 Music Pad 音樂記事本+貝多芬馬克杯 早鳥優惠中
(尺寸:長16.5*寬9*厚0.9cm)
https://docs.google.com/…/1bh3pEDO3aJCCXsU27yjXWH…/viewform…
貝多芬所處的維也納,正是這座千年古城面貌變動最大的時期。粗略地說,在背後推動這變動的力道,來自革命,而其具體的方式,又來自不同層面。
革命力量施加於維也納的城市面貌,最直接的就是來自拿破崙的進攻。我們不要忘記,這位來自科西嘉島
矮小軍人,是以砲兵的身分開始建功的。當法軍在1809年第二次叩門的時候,所用的火砲已經與17世紀進攻的土耳其大軍的火器很不相同了。土耳其的火砲射程不遠,在面對維也納極厚重的城牆防禦工事,作用不大,這是土耳其軍隊採用挖地道攻城的原因。
而拿破崙所用的火砲,射程遠,經過精確
的計算之後,可以越過城牆,對城內建築物造成損害。所以在拿破崙戰爭之後,維也納開始進行重建,這是貝多芬在他生命最後的十年所眼見親歷的。
火砲的發展,使得傳統城牆的功能逐漸萎縮--這最後促成了維也納城牆的拆除,以及環城大道的出現。當然,這裡頭還有一些歐洲國家在19世紀得利於亞非洲海外殖民,競相建設帝國都城。此外,也透過都市更新,展現科技與帝國威儀,同時加強對都市的管控。在這個階段,推動都市更新的已經不是革命的力量,而是聞革命而色變的反動。
這幅地圖繪於1780年,也就是貝多芬十歲的時候,他再過十年左右來到維也納,此時這座城市的面貌應該與這幅地圖相去不遠。可以明顯看到維也納的內城牆,以及城牆外的空地(esplanade),再來是農田與零星的房舍,才是外城牆。
多瑙河流至此地,支流紛沓,澤沼密布,外城牆以此為天險,建成不規則的反C形。




2016年12月1日 · 


終於,2017 Music Pad終於快好了。這一陣實在是諸事紛至,接應不暇,但總算是一關一關過。看到顏色繽紛的封面,心情也稍稍輕快起來了。本來還想做一款莫札特手稿的手帕,就再說吧。
2017 Music Pad的顏色多了,但內容大同小異,增加了數十位音樂家的生卒年月日,去掉作品的首演日期(這部分的資訊數量龐大,會再蒐集彙整),把音樂廳訊息等資料拿掉,整理了一部約800條的音樂小辭典。這些名詞在大部頭的音樂辭典與網路上都看得到,但正是因為,以為都可以在網路上查到,所以心上放得少,肚裡裝得也少,這對於知識與功力的累積,我覺得是不好的。一些基本的名詞還是需要嫻熟在心的,所以整理了一個隨身攜帶,隨手翻閱的音樂小辭典。
去年做的時候,我就陸續送了一些給我所知道的學校或學生,今年,還會做這件事。剛好前一陣在臉書上看到南投仁愛國小親愛弦樂團在募款,我跟樂團的陳珮文老師連絡上,表示想把這本記事本送給親愛弦樂團的90位孩子。陳老師很高興,孩子可以收到這樣的禮物。今天下午,把這個做法丟出去,馬上就有人響應,好幾位還留了話要送給孩子,我引述其中一則:「加油,音樂路上一直堅持,一定會看到音樂所帶來的美好。」
封面用的樂譜是莫札特K.465的弦樂四重奏《不和諧》,這首作品的確有個不那麼尋常的開頭,這個標題放在這個時節似乎也別有意涵。除了去固守一些美好的事物,並讓美感的溫度能傳遞出去,似乎沒有別的方法來對抗醜陋與惡意了。



還有 3 張

Music Pad 古典音樂史上的今天在 2017 Music Pad 相簿中新增了 6 張相片。

2016年12月1日 · 


2017 Music Pad 記事本(9*16.5*0.9cm) 開放訂購  定價250元, 售價200元
(藏青燙銀 醬紫燙金 果綠燙銀 緋紅燙銀 銘黃燙銀 灰棕燙銀)
封面: 莫札特的《不和諧》弦樂四重奏手稿
https://docs.google.com/…/18OJqgpmcJqmHUUmZnQ1CliB1WLA…/edit
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將一些
Sophie's World: A Novel about the History of Philosophy
中的大哲學之言弄成每月的主題

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Frederick Septimus Kelly - Elegy for strings in Memoriam Rupert Brooke - St. George Quintet



*** 蘇錦坤送的CS Note (1, 交通大學出版社, 2009)筆記書 
這書的一特色是 " 一日一言(一行) 1人 共2頁 一頁是網路的照片 一頁是林教授的素描 其餘空白作為筆記本"
編輯不懂得簡稱 所以很繁雜 每人都出自"閃文集"....)

2010年10月19日:
找到一處顯然的錯誤


CS Note ii已更正
石川馨 (いしかわ かおる; Ishikawa Kaoru; 1915-1989)到林教授blog去 給他CS Note (2 待出版) 3處意見
出版物的品質多困難 主要是要讓"系統外"的高手看過
蘇先生無意中幫助其母校出版社的品管 

林老師
我剛剛在 CS Note i 留言
發現石川 馨的日文在第二本已更正
台灣在人名的翻譯沒標準化
而林老師的 也有許多不一致處 (譬如說 Adams 是否應是”亞當斯”)不過這些是小問題
我想提一兩重要的地方給你參考


Hans Albrecht Bethe (German pronunciation: [ˈhans ˈalbʁɛçt ˈbeːtə]; July 2, 1906 – March 6, 2005) 換句話說他是著名的科學界希臘第2字母

Herbert A. Simon 有中文名叫 司馬賀 (我曾與他通信約30封 存 CMU 翻譯過他的主要著作) 中國統一以"西蒙"翻譯Simon……


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