狩野 直喜(かの なおき、1868年2月11日(慶応4年1月18日) - 1947年(昭和22年)12月13日)は、日本の中国学者。中国文学、中国哲学、敦煌学に業績を残す。京都帝国大学名誉教授。字は子温、号に君山、半農人がある。内藤湖南・桑原隲蔵と並ぶ京都学派東洋史学の創始者の一人。肥後国(現:熊本県)生まれ。
人 根據司馬遼太郎的《這個國家的形狀》和《春藤座澤》的記載,即使當他在教導細川守貞時,他也讓他引用資料來解釋中國文本。 他也不喜歡理學,而尊重歷史和徂徠學。 後來,細川在彌留之際問他:“為什麼日本會以如此愚蠢的方式戰敗?”他回答說:“這是因為水戶學(以理學為基礎)。”
另一方面,據小島由馬說,他喜歡宋代學朱子的精神。[1]
人物[編集]
- 司馬遼太郎『この国のかたち』や『春灯雑話』によれば、学生時の細川護貞を教えるときでも漢文の解釈に一々出典を挙げさせた。また朱子学を嫌い、考証学や徂徠学を尊んだ。後年臨終の床で、細川より「なぜ日本がこのような馬鹿な負け方をしたのでしょう」と問われ、「(朱子学が基にある)水戸学のせいだ」と答えるほどであったという。
- 一方で小島祐馬によれば、宋学(朱子学)の学者の気風を好んでいたという[1]。
親族[編集]
著作[編集]
- ※大半の著作が、遺稿集や弟子達のノート等を基にしている
- 『支那文學史 上古より六朝まで』1970年、復刊1980年、1993年、解説吉川幸次郎
- 『支那學文藪』 1973年、解説吉川幸次郎 - 元版(弘文堂、1927年)を大幅に増訂
- 『論語孟子研究』 1977年、解説吉川幸次郎
- 『漢文研究法』1979年、復刊1989年/平凡社〈東洋文庫〉2018年 - 古勝隆一補訂・解説
- 『讀書籑餘(せんよ)』1980年 - 遺著(弘文堂、1947年)を改訂
- 『御進講録』1984年、新装復刊2005年、解説宮崎市定 - 経学を軸とする昭和天皇への進講
- 『清朝の制度と文學』1984年、解説宮崎市定
- 『支那小説戯曲史』1992年
- 『春秋研究』1994年、解説島田虔次
記念論集・回想記[編集]
- 『東方学回想 Ⅰ 先学を語る〈1〉』(刀水書房、2000年)、いずれも座談での回想(上記の新版)
- 吉川幸次郎『音容日に遠し』(筑摩書房、1980年)、遺著で先師らの回想記
- 『書論 第38号 特集 狩野君山』[5]杉村邦彦 編、書論編集室、2012年(遺墨図版、狩野直禎・吉川忠夫、編者の論考)
参考文献[編集]
- 高田時雄 著「狩野直喜」、砺波護 編『京大東洋学の百年』京都大学学術出版会、2002年。ISBN 978-4876984398。
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